これ以上、何をつけ加える必要があるでしょう。ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、そのほか多くの預言者の信仰について話し始めたら、いくら時間があっても足りません。
預言者モーセとアロン、それにサムエルが 助けを呼び求めた時、主はお答えになりました。
すると主は、こう私に語りました。「たとえモーセとサムエルがわたしの前に立ち、この国の民のために嘆願しても、わたしは彼らを助けない。彼らのことなど放っておきなさい。わたしの目の届かない所へ追い払うのだ。
喜びなさい。躍り上がって喜びなさい。天の国では、大きな報いが待っているからです。昔の預言者たちも、そのようにして迫害されたことを思い出しなさい。
アブラハム、イサク、ヤコブ、それに預言者たちもみな神の国に入っているのに、あなたがたはいつまでも外に立ち尽くして、泣きわめき、歯ぎしりするのです。
アブラハムはきっぱり言いました。『モーセと預言者たちのことばに耳を貸さないのなら、だれかが生き返って話したところで、彼らは聞き入れないだろう。』」
イエスのなさったことは、ほかにもたくさんあります。それをいちいち書き記すとしたら、きりがないでしょう。世界中が本であふれるほど書いても、それでもまだ足りないと思います。
イエスについては、どの預言者も、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪が赦されると証言しています。」
サムエルをはじめ、それ以後の預言者たちも、現在起こっていることを預言しました。
ところが、こんなふうに主張する人がいます。「でも、私たちの神に対する不忠実は、むしろよかったのではないか。人々は、私たちがどんなに悪い人間であるかを見て、神がどんなに正しい方であるかに気づくだろうから。」すると、彼らの罪が神の役に立っているのに、罰せられるのは不公平だということになるのでしょうか。
この問題について、アブラハムの場合を考えてみましょう。アブラハムは人間的に見れば、私たちユダヤ民族の先祖にあたります。信仰によって救われる問題について、彼はどんな経験をしたでしょうか。彼が神に受け入れられたのは、行いによるものでしょうか。もしそうなら、彼は誇ることができました。しかし、神の目から見ると、アブラハムには誇る理由など少しもありませんでした。
では、神がますます私たちを恵み、赦し続けることができるように、私たちは罪を犯し続けるほうがよいのでしょうか。
私が、律法は悪いものだと言っていると思いますか。絶対にそんなことはありません。それどころか、律法が私の罪を明らかにしてくれたのです。もし、「むさぼってはならない」(出エジプト20・17)という律法がなければ、私は自分の心にあるむさぼりを知らなかったでしょう。
どんな苦難の中でもじっと忍耐した預言者たちを見ならいなさい。
さて、二人に男の子が生まれると、サムソンという名がつけられました。その子は主に祝福されて、すくすくと育ちました。
サムソンは、こののち二十年間イスラエルの士師でしたが、なおこの地はペリシテ人の支配下にありました。
エフデが世を去ると、イスラエルの民はまた主に罪を犯しました。
やがてイスラエルの民は、またもや他の神々を拝み始めました。それで主は、敵を起こしてイスラエルを懲らしめたので、彼らはミデヤン人に七年間苦しめられることになりました。
ある日、主の使いが現れ、アビエゼル人ヨアシュの農地内にあるオフラの樫の木の下に座っていました。ヨアシュの子ギデオンは、酒ぶね〔ぶどうを絞ってぶどう酒を作るために、岩に掘られた箱形の穴〕の中で小麦を打っていました。ミデヤン人から身を隠していたのです。
すると主は、ギデオンに向かって言いました。「わたしがあなたを強くする。行きなさい。イスラエルをミデヤン人から救い出すのだ。わたしがあなたを遣わす。」
それで主は、ギデオン(エルバアル)、バラク、エフタ、サムエルを遣わして敵の手から救い出し、安らかな生活を取り戻させてくださったのだ。
主はサムエルに言いました。「いつまでサウルのことでくよくよしているのか。もうわたしは、彼をイスラエルの王位から退けてしまったのだ。さあ、つぼいっぱいにオリーブ油を満たして、ベツレヘムへ行き、エッサイという人を探しなさい。わたしは、その息子の一人を新しい王に選んだ。」
サムエルは、その少年ダビデを兄弟たちの真ん中に立たせて、持って来たオリーブ油を取り、彼の頭に注ぎました。すると、主の霊がダビデに下り、その日から彼には卓越した力が与えられたのです。こののち、サムエルはラマへ帰って行きました。
ダビデも負けずに答えました。「おまえは剣と槍で立ち向かって来るが、私は天地の主であり、おまえがばかにしたイスラエルの主のお名前によって立ち向かうのだ。
そののちエルカナとハンナは、サムエルを残してラマに帰りました。幼いサムエルは、祭司エリのもとで主に仕える者となりました。
サムエルはまだ子どもでしたが、一人前の祭司のように、小さな亜麻布の儀式服を着て、主に仕えていました。
力を誇った者が弱くなり、 弱かった者が今や強くなっています。