すなわちキリストは、「古い制度が要求するさまざまのいけにえやささげ物では、神は満足されない」と語ったあとで、
あなたが真に望んでおられるものは、 いけにえや供え物ではありません。 完全に焼き尽くすいけにえが、 あなたを特別喜ばせるわけではありません。 しかし、生涯を通じてあなたにお仕えしたいという 私の心は、受け入れてくださいました。
そして、神殿の祭壇にどんな供え物をささげるよりも、『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人を自分と同じように愛する』ことのほうが、ずっと大切です。」
律法を知っているだけでは、罪の支配からは救い出されません。私たちはそれを守ることもできないし、実際守ってもいないからです。ところが、神は私たちを救うために、別の計画を実行に移されました。すなわち、神のひとり子を、私たちと同じ体を持つ者として〔ただ、私たちのような罪の性質を持たない点では異なりますが〕世にお遣わしになったのです。そして彼を、私たちの罪のためのいけにえとして、私たちをがんじがらめにする罪の支配を打ち破られたのです。
そのためキリストは、この世に来られて、こう言われるのです。「神よ。雄牛ややぎの血は、あなたの心にかないません。それで、わたしに肉の体を与え、祭壇の上のいけにえとなさいました。