モーセの律法に従わなかった者たちは、その罪に対する二、三人の証言が得られれば、死刑に処せられました。
「私は主に対して罪を犯しました」と、ダビデはナタンに告白しました。 ナタンは答えました。「そのとおりです。しかし、主はその罪を赦してくださり、それによって死ぬことはありません。
それなのに、どうしてわたしの律法をないがしろにして、このような恐ろしい罪を犯したのか。あなたはウリヤを殺し、その妻を奪ったのだ。
私の国民は枯れ枝のように折られ、 猟師用のたきぎになります。 彼らは鈍い民で頭の回転が遅く、 思考力に欠けています。 それは神に背いているからです。 だから、彼らをお造りになった方は、 少しもあわれみをかけません。
父と息子をいがみ合わせる。少しもあわれむことなく、徹底的に滅ぼす。」
そこで人々は、男を宿営の外へ引いて行き、命じられたとおりに処刑しました。
しかし、もしあなたの言うことに耳を貸そうとしないなら、一人か二人の証人を立てて、もう一度相手のところへ行きなさい。あなたの言い分をすべて証明してもらうためです。
あなたがたの律法では、ある出来事について二人の証言が一致すれば、事実と認められることになっています。
神はモーセにこう言われました。「わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」(出エジプト33・19)
あなたがたのところへ行こうとするのは、これで三度目です。聖書には、「二人か三人に目撃された犯罪は罰せられなければならない」(申命19・15)とあります。
容赦はいりません。イスラエルから人殺しを除き去りなさい。それはあなたがたのためになることです。
たった一人の証言で、人を有罪にしてはいけません。少なくとも二人、できるなら三人の証言が必要です。
あなたがたに語りかけてくださる方に聞き従いなさい。イスラエルの民が指導者モーセに従うことを拒んだ時、彼らへのさばきは決定的なものとなりました。まして、天からの神の声を拒むなら、どんなに恐ろしい罰が下ることでしょう。
天使のことばでさえいつも真理と認められ、そのことばに従わない人は罰せられました。
思いやりのない人には、思いやりのないさばきが下ります。しかし、あわれみ深い人には、神のあわれみがあるのです。