主であるキリスト・イエスを知っているという、途方もない特権と比べれば、ほかのものはみな色あせて見えるのです。私は、キリスト以外のものは、がらくた同然と思っています。それは、キリストを自分のものとするためであり、
あなたの家に災いを下し、病気の子どもだけでなく、ほかの元気な子どもも全部絶ち滅ぼす。あなたの家族を肥やしのようにすべて葬り去る。
糞のように捨てられ、永久に滅びる。 彼を知る人たちは、どこへ行ったのかといぶかる。
種を手にし、泣きながら出て行った人々が、 やがて収穫の束をかかえ、 歌いながら帰って来るのです。
天でも、あなた以外に私の神はなく、 地上でも、慕わしいお方はあなたひとりです。
彼は、自分のたましいが苦しみもだえた末、 神のみわざが実現するのを見て、満足します。 「わたしの正しいしもべは、 このような苦しみを経験して、 多くの人を神の前に義とする。 彼が人々の罪をすべてになうからだ。
よく聞くがよい。 わたしはあなたがたの子どもを責める。 わたしにささげた動物の糞を あなたがたの顔にぶちまけ、 あなたがたを糞のように投げ捨てる。
主のお母様がおいでくださるとは光栄です。
しかし、わたしが神の力で悪霊を追い出しているのなら、もう神の国があなたがたのところに来ている証拠です。
わたしが復活する時、あなたがたは、わたしが父のうちにおり、あなたがたがわたしのうちにおり、また、わたしがあなたがたのうちにいることがわかります。
わたしがどういう者か知っているなら、わたしの父のこともわかったはずです。あなたがたは、今からはもう父を知っているし、すでに父を見ているのです。」
父をも、わたしをも知らない人々のやりそうなことです。
ただ一人のまことの神であるあなたと、あなたがこの地上にお遣わしになったわたしを知ること、それが永遠のいのちを得る道です。
わたしがあなたのおことばを伝えたからです。彼らはそれを受け入れ、確かにわたしがあなたのもとからこの地上に遣わされて来たのだと信じています。
「なぜ泣いているのですか。」天使たちがマリヤに尋ねました。「だれかが私の主を取って行ったのです。どこに持って行ったのか、わからないのです。」
「ああ、わが主、わが神よ!」感きわまって、トマスは叫びました。
しかし、主イエスがしなさいと言われた務めをやり遂げるためなら、こんな取るに足らぬ命でも、喜んで投げ出す覚悟はできています。その務めとは、神の恵みの福音を伝えることです。
けれども、私たちがいま味わっている苦しみは、後に私たちが受ける栄光に比べたら、取るに足りないものです。
あるいは、私たちが空高くのぼっても、海の底深くもぐっても、どこにいようと、神の愛から私たちを引き離すことはできません。
イエス・キリストと、その十字架上の死以外は語るまいと決心したからです。
私たちのことも、心にかけておられたのではないでしょうか。働く人が、その人のおかげで益を受ける人々から報酬をもらうのは当然であることを、神様は教えたかったのです。耕す者も脱穀する者も、当然、収穫の分け前にあずかることを期待してよいのです。
それは、この邪悪な世の神であるサタンのしわざです。目隠しをさせて、その人の上に輝いている福音の栄光が見えないようにしているのです。また、まことの神、キリストの栄光に関する私たちの証言を理解できないようにしているのです。
「闇の中に光が輝け」(創世1・3)と言われた神様が、私たちに、イエス・キリストの御顔に輝いている、神の栄光の輝きを理解させてくださったからです。
そして私に、神の子イエスを示してくださいました。それは私に、ユダヤ人以外の外国人に、イエス・キリストを伝えさせるためでした。この体験の後、私はすぐだれかに相談するようなことはしませんでした。
そしてついに、私たちは、救いについて、また救い主である神の子について同じ信仰を持つに至り、主にあって完全に成長した者となるのです。
キリスト・イエスの奴隷であるパウロとテモテから、ピリピの町にいる牧師と執事たち、および信徒の皆さんへ。
私は今、ほかのことはいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。つまり、真にキリストを知ること、キリストを復活させた力を、この身をもって体験すること、そして、キリストと共に苦しみ、また死ぬとはどういうことかを知ることです。
なにも、自分が完全な人間だと主張するつもりはありません。学ぶべきことも、まだたくさん残っています。ただ、キリストが何のために私を救ってくださったかを知り、自分に与えられている目標に到達する日を目指して、努力しているのです。
しかし私は、以前、非常に価値があると思っていたこれらのものを、今ではことごとく捨ててしまいました。それは、ただキリストだけを信頼し、キリストだけに望みをかけるためです。
こう言うのも、私の最期が迫っているからです。いつまでもあなたを助け続けるわけにはいきません。もうすぐ天国へ旅立ちます。
もし私たちが、初めてキリストを信じた時と同じ気持ちで神に信頼し、最後まで忠実であれば、キリストにある祝福を受けることができるのです。
キリストは、信じる者にとって何よりも尊い方ですが、キリストを拒む者にとっては、「つまずきの石、妨げの岩」となりました。「家を建てる者たちの捨てた石が、なくてはならない土台石となった」(詩篇118・22)とあるとおりです。
あなたがたは、神の恵みと平安をもっと多くいただきたいと願っているでしょう。それなら、イエス・キリストについてもっと深く学んでください。
キリストを知れば知るほど、その偉大な力を通して、私たちが神に従う正しい生活を送るために必要なすべてのものをいただくことができるのです。そればかりかキリストは、ご自分の栄光と共に敬虔や品性をも、私たちに与えてくださるのです。
これらが備われば、あなたがたはますます強められ、主イエス・キリストのために多くの有益な働きができるのです。
そして、主であり救い主であるイエス・キリストをさらに深く知って、主の恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、すべての栄光が、今も後も、永遠にいつまでもありますように。アーメン。 ペテロ
私たちは実際に見聞きしたことを伝えているのです。それは、あなたがたが私たちと同じように、父なる神やそのひとり子イエス・キリストと交わることができる者となるためです。
キリストに敵対する者たちは、これまでずっと私たちの教会員のふりをしていましたが、ほんとうの仲間ではなかったのです。そうでなければ、教会にとどまり続けたはずです。彼らが出て行った時、私たちの仲間でなかったことが証明されたのです。
また、神の御子が来て、私たちに真の神を知る力を与えてくださったことも知っています。ですから私たちは、神の御子イエス・キリストによって、真実な方のうちにいるのです。この方こそ、真実の神であり、永遠のいのちです。