愛する皆さん。どんなことが起ころうと、主にあって喜びなさい。このように何度も言いますが、それを私はめんどうとは思いませんし、あなたがたも聞かされたほうがいいのです。
そしてイスラエルの指導者たちは、大歓声とともに、角笛とラッパが響き、シンバルが鳴り、十弦の琴と竪琴が高らかにかなでられる中、契約の箱をエルサレムへと運び上ったのです。
主の聖なる名を誇れ。 主を慕い求める者すべてを喜ばせよ。
それから、喜びに胸を躍らさせながら主の前に祝宴を張り、大いに食べたり飲んだりしました。 そのあと、改めて主の前でダビデの子ソロモンに油を注ぎ、王としました。同時に、ツァドクにも油を注いで祭司としました。
ごちそうを食べてお祝いし、貧しい人には施しをする日なのだ。神である主を喜ぶことこそ、あなたがたの力なのだ。しょんぼりと悲しそうにしていてはいけない。」
そのとき、あなたは主の恵みを感じて喜び、 神を見上げる。
イスラエルよ、あなたを造られた主を喜びなさい。 エルサレムの人々よ、王であるお方の前で喜びなさい。
ですから、神のものとなっている人々は喜びなさい。 神に従おうとする人々は、 喜びの声を上げなさい。
神を敬う人々の喜びが、 賛美の声となってわき上がりますように。 主をほめたたえるのは良いことです。
主を喜びとしなさい。 主は心の願いをみな、かなえてくださいます。
さあ、私のたましいよ、元気を出せ。 あの日のことを思い出すのだ。 まさか忘れてはいないだろう。 あの祭りの日、多くの人の先頭に立って神の宮に上り、 喜びに満たされて賛美の歌を歌ったことを。 どうしてそのように沈み込む必要があるのか。 どうして悲しげにふさぎ込んでいるのか。 神に望みを託すがよい。 そうだ、助けを信じて、 もう一度神をほめたたえよう。
しかし、すべて神を信頼する者には、 喜びを与えてください。 神がかばってくださることを知って、 彼らがいつまでも喜びの声を上げますように。 神を愛する人たちを、幸福にひたらせてください。
主は全世界の王です。 大地よ、喜んで跳びはねなさい。 最果ての島々も喜びなさい。
それを空中に放り上げると、風が吹き飛ばし、 つむじ風がまき散らす。 こうして主の喜びがあなたの心を満たし、 あなたはイスラエルの神を誇りに思うようになる。
神が私をどんなに幸福にしてくださったか、 お話ししましょう。 神は私に救いの衣を着せ、 正義の外套をかけてくださいました。 私はまるで、婚礼の服をまとった花婿、 宝石で身を飾った花嫁のようです。
おまえたちは、悲しみと苦しみと絶望の中で 泣き叫ぶが、彼らは喜びのあまり歌いだす。
喜べ、エルサレムの民よ。 あなたがたの神、主を喜べ。 神が送る雨は、赦しの確かなしるしだ。 春に雨が降るように、秋にもまた雨が降る。
シオンの娘よ、歌え。イスラエルよ、叫べ。 エルサレムの娘よ、心から喜び楽しめ。
あなたの神、主が、 あなたのうちに住むために到着したからだ。 この方は力ある救い主で、勝利をお与えになる。 あなたのことをことのほか喜ぶ。 あなたを愛し、責めることはなさらない。」 聞こえてくるのは、 喜びにあふれた聖歌隊の歌声だろうか。 いや、神が、あなたがたのことを喜び、 歌っているのだ。 「わたしは傷ついた者を集め、あなたの恥を取り去ろう。
彼らは力強い戦士のようになる。 ぶどう酒に酔った時のような喜びを味わい、 子どもたちも主のあわれみを見て喜ぶ。 彼らの心は主にあって喜びにあふれる。
喜びなさい。躍り上がって喜びなさい。天の国では、大きな報いが待っているからです。昔の預言者たちも、そのようにして迫害されたことを思い出しなさい。
救い主である神様を心から喜びます。
私たちは、神との驚くべき新しい関係を心から喜んでいます。それはただ、主イエス・キリストが私たちの罪のために死んで成し遂げてくださったこと、すなわち、私たちを神の友としてくださったことのおかげなのです。
最後に、次のように書いて、筆を置きます。喜びなさい。健全に成長しなさい。互いに励まし合いなさい。互いに仲よくし、平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
最後に、覚えておいてほしいことがあります。あなたがたは、自分のうちにある主の全能の力によって強められるようにしてください。
みな、主がお選びになるただ一つの場所に持って来て、主の前で、家族やレビ人といっしょに食べなさい。主の恵みを、みなで感謝するのです。
こうして、家族をはじめ家中の者が、主の前で共に喜び合うのです。この祝いには、同じ町に住むレビ人、外国人、未亡人、身寄りのない子も招待しなさい。
肉体の一部を切り取りさえすれば、神の子どもになれるのではありません。霊をもって神を礼拝する者こそ、神の子どもなのです。その礼拝こそが、ただ一つの真の「割礼」です。クリスチャンが誇れることと言ったら、キリスト・イエスがなしてくださったみわざだけです。自分で自分を救うことなどとてもできないと、よく知っているはずです。
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
さて皆さん。筆を置く前に、もう一つ申し上げたいことがあります。真実なこと、良いこと、正しいことに注目しなさい。きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他の人の長所に目をとめなさい。神を喜び、賛美することばかりを考えなさい。
愛する皆さん。さらに付け加えます。あなたがたは日々の生活で、どうしたら神をお喜ばせできるかを、すでに知っているはずです。そのために、主イエスの教えを学んだのですから。そこでお願いします。というより、これは主イエスの命令と思ってほしいのですが、どうか、その目標に向かってさらに熱心に励んでください。
いつも喜びにあふれていなさい。
愛する皆さん。あなたがたの人生は、多くの困難と誘惑に満ちていますか。そうであれば喜びなさい。
あなたがた一同に言います。家族の一員としてお互いに思いやり、やさしい心と謙遜な思いで愛し合いなさい。
むしろ、その試練によってキリストと苦しみを分かち合えるのですから、喜びなさい。やがてキリストの栄光が現れる時、その栄光を共に受けて、すばらしい喜びを味わうためです。
愛する皆さん。これは二通目の手紙です。私はこの二通の手紙で、あなたがたがすでに知っている事柄を、もう一度思い起こしてもらおうとしているのです。それは、昔の聖なる預言者たちが語ったことば、また使徒たちが伝えた、主であり救い主である方のことばです。
ハンナは祈りました。 「ああ、うれしゅうございます、主よ。 こんなにも祝福していただいて。 私は敵にはっきり答えることができます。 主が悩みを取り去ってくださいましたから。 私は喜びでいっぱいです。