私がキリスト・イエスの愛の心をもって、あなたがたをどんなに深く愛し、慕っているかをご存じなのは神だけです。
今でも天には、私の身の潔白を証明するお方がいる。 私の弁護人は高い所にいる。
わたしはモアブのために、胸が張り裂けるほどに泣く。 キル・ヘレスへの悲しみは、 とてもことばで表すことができない。
ああ主よ、どうか天から見下ろして、 栄光に輝く聖なるお住まいから、 私たちに目を留めてください。 いつも示してくださった愛は、 どこへ行ったのですか。 神の力、あわれみ、同情は、 いったいどこにあるのですか。
神のお答えはこうです。 「エフライムは今でもわたしの子だ。 かけがえのない子であることに変わりはない。 罰を加えないわけにはいかないが、 それでもなお、彼を愛している。 いとおしくてたまらないので、必ずあわれみをかける。
これはみな、ただ神の深いあわれみによることだ。 天の夜明けがいま訪れようとしている。
あなたがたのために私がどれほど祈っているかは、神がご存じです。私は神のひとり子についての福音を人々に伝えながら、全力でお仕えしている神に、あなたがたに必要なものが与えられるよう昼も夜も祈っています。
私の同胞であるイスラエルの人々、同国人であるユダヤ人の人たちがキリストのもとに来ることを、私はどんなに望んでいるでしょう。昼も夜も、彼らのことで心は重く、悲しみのあまり、胸も張り裂けんばかりです。彼らがキリストによって救われるためなら、私は永遠にのろわれてもかまいません。むしろ、のろわれたいくらいです。口先だけでこう言っているのでないことは、キリストも聖霊もご存じです。
自分たちは弱く軽蔑されても、あなたがたがほんとうに強くなってくれればうれしいのです。最大の願いと祈りは、あなたがたが霊的に整えられた者になってくれることです。
今なお私たちの間に冷たい空気があるとしても、私に愛が欠けているせいではありません。あなたがたの愛があまりにも少なくて、私まで届かないのです。
テトスは、あなたがたが彼のことばに喜んで耳を傾け、非常な心づかいと深い関心をもって受け入れてくれたことを思い出しては、今まで以上にあなたがたへの愛を深めています。
私のことばをよく聞いてください。これは、実際に起こったことなのです。
私たちはみな、すでに、イエス・キリストを信じる信仰によって神の子どもとなったからです。
ああ、私の子どもたち。私はどんなに心配していることか。あなたがたがキリストに完全に支配される時をひたすら待ちながら、生まれて来る子どもを待つ母親のような苦しみを、もう一度味わっているのです。
あなたがたには、クリスチャンとして互いに励まし合う気持ちがありますか。私を助けたいと思うほどの愛がありますか。あなたがたは同じ御霊を共にいただいており、主にあって互いが兄弟であるということの、ほんとうの意味がわかっているでしょうか。やさしい心と思いやりが、少しでもあるでしょうか。
いま彼に、そちらへ帰ってもらいます。彼は、あなたがた一同のことを思ってホームシックにかかっており、その上、自分の病気のことがそちらに知れたのをひどく気にしているからです。
愛する兄弟(信仰を同じくする者)たち。私はあなたがたに、ぜひ会いたいと願っています。あなたがたは私の喜びであり、私の働きが結んだ実なのですから。愛する皆さん。どうかいつまでも、主に対して真実であってください。
あなたがたとラオデキヤの教会と、またほかにも、直接には会ったことのない多くの友人のためにも、私がどんなに苦闘しているか知ってほしいのです。
神に選ばれて愛され、聖なる新しいいのちを与えられたあなたがたは、他の人々に対して情け深く、やさしく親切でなければなりません。謙遜で、どんな時にも、おだやかに忍耐強く行動してほしいものです。
よくご存じのとおり、私たちはこれまで、何かをもらいたくて人にへつらったことなど一度もありません。それは神が証人になってくださいます。
心からあなたがたを愛していた私たちは、ただ神の教えを伝えるだけでなく、いのちさえ喜んで与えたいと思うほどでした。それほどまでに愛したのです。
ぜひもう一度あなたに会いたいと願っています。この願いがかなえられたら、どんなにうれしいでしょう。今でも、あの別れの時の涙にくれたあなたの姿が、まぶたに焼きついています。
そのオネシモを、私の心といっしょにそちらへ帰します。
愛する友よ。どうか、愛にあふれたすばらしい態度で私の弱っている心を喜ばせ、主を賛美させてください。
自分ではぜいたくに暮らしていながら、困っている兄弟がいても、見て見ぬふりをするとしたらどうでしょう。どうして、その人に神の愛があると言えるでしょう。