次いで、泉の門と王の池へ向かいましたが、瓦礫のせいで、ろばの通れる場所がありませんでした。そこで、町の回りを巡り、流れに沿って進み、城壁を調べて、再び谷の門から中に入りました。
ところがアッシリヤの王は、前線の将軍、主計長、参謀長に大軍をつけてエルサレムに送ったのです。彼らは、布さらしの野(城外にあった、布をさらす職人たちの作業場)に面した大路に沿って、上の池の水道のそばに宿営しました。
ヒゼキヤ王のその他の業績、貯水池と水道を造って町に水を引いたことなどは、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
さらに、ギホンの上の泉をせき止めて水道を敷き、その水を、エルサレムにあるダビデの町の西側にまで引きました。彼のなしたことは、みなうまくいきました。
泉の門まで来た一行はまっすぐ進んで、城のかたわらのダビデの町に通じる階段を上りました。そして、東の水の門へと進んだのです。
ミツパ地区の区長である、コル・ホゼの子シャルンは、泉の門を修理しました。シャルンは門ができ上がると、屋根をふき、扉、かんぬき、横木を取りつけました。続いて、シロアムの池から王の庭まで、つまりエルサレムのダビデの町から下る石段までの城壁を修理しました。
続いて、ベテ・ツル半区の区長である、アズブクの子ネヘミヤは、ダビデ王の墓地と人工貯水池、勇士たちの家までの城壁を修理しました。