どんな時にも、神のことばを熱心に伝えなさい。機会があろうとなかろうと、つごうが良かろうと悪かろうと、しっかりやりなさい。過ちを犯している人には忠告して、正しい道に引き戻しなさい。そして善を行うよう励まし、神のことばを教え続けなさい。
私は会う人ごとに、 あなたが人の罪を赦してくださるという うれしい知らせを伝えます。 私が恐れることなくそうしてきたことを、 あなたはよくご存じです。
それから、わたしを疑わない人は幸いです、と伝えなさい。」
長老たちは、この隊長がどんなにすばらしい人物かを説明し、熱心にイエスに頼みました。「あなたに助けていただく価値のある人がいるとしたら、この方こそふさわしい人です。
イエスはお答えになりました。「死人のことは、あとに残った者たちに任せておきなさい。あなたの務めは、出て行って、世界中の人たちに神の国が来ると伝えることです。」
その島のサラミスという町に着くと、さっそくユダヤ人の会堂で神のことばを語り始めました。マルコも、助手として同行しました。
安息日に、私たちは郊外に出て、人々が祈りに来ると思われる川岸に行きました。やがて数人の婦人が集まってきたので、聖書のことばを教えました。
日曜日になって、私たちは聖餐式(パンと杯によりキリストの体と血の祝福にあずかる、キリスト教の礼典の一つ)のために集まり、パウロが説教しました。翌日には出発することになっていましたが、話は夜中まで続きました。
ローマに着くと、パウロは、兵士の監視のもとではありましたが、好きな所に住んでもよいことになりました。
また、神に遣わされなければ、どうして人々のところへ出かけて教えることができるでしょうか。聖書に、「神との平和を宣べ伝え、良い知らせをもたらす人の足は、なんとうるわしいことか」(イザヤ52・7)とあるのは、まさにこのことです。
あなたがたのために神が計画しておられることすべてを喜びなさい。困難に耐え、常に祈りなさい。
神のことばを教えてくれる人には、報酬を払い、援助しなさい。
神が私を遣わされたのは、教会を助け、あなたがたユダヤ人以外の外国人に、その救いの計画を知らせるためです。
また、私たちのことも忘れないでください。キリストの奥義である福音を伝える機会が多く与えられるように、祈ってほしいのです。この福音のために、いま私は投獄されているのです。
こうしてあなたがたも、私たちや主ご自身のあとに続く者となりました。多くの試練や悲しみにもくじけず、聖霊からいただいた喜びにあふれて、私たちの教えを受け入れたからです。
愛する皆さん。なまけ者や手に負えない乱暴者には、きびしく注意しなさい。臆病な人を励まし、弱い人を思いやりなさい。そして、だれに対しても忍耐の心を持ちなさい。
預言する者を軽蔑してはいけません。
私がそちらに行くまで、教会で聖書を朗読し、その内容を教え、神のことばを伝えなさい。
牧師が罪を犯しているなら、教会員全員の前で責めなさい。その悪い例にならう人を出さないためです。
罪を離れて自分をきよく保っているなら、キリストの最高の目的のために用いていただける器になれるでしょう。
真理に逆らう人たちを、謙遜な心で教えさとしなさい。おだやかに、思いやりをもって話せば、神の助けによって、その人はまちがった考え方を改め、真理を悟るかもしれません。
しかしあなたは、私が何を信じ、何を望み、どのように生活しているか、よく知っています。キリストに対する私の信仰も、苦しみも、そして、あなたへの愛と忍耐も知っています。
まさにそのとおりです。ですから、人々を甘やかさず、その信仰を強めるように、きびしく教育しなさい。
以上のことを彼らに話し、実行するように励ましなさい。必要とあれば、きびしく戒め、誤りを正しなさい。あなたには、当然その権威があるのですから。あなたの教えがだれからも軽んじられないように、気をつけなさい。
皆さん。私がこの手紙で語ってきたことを、どうか忍耐して聞いてください。これらは要点だけを手短に書いたものです。
わたしは愛する者を絶えず訓練し、しかったり、懲らしめたりします。ですから、もし神に対して熱い心を持たなければ、わたしの罰を受けることになります。