そういう人たちの中には、うまく他人の家に入り込み、愚かな女たちにつけ入って、新しい教えを吹き込む者がいます。
なんと罪深い民だろう。 罪の重さに耐えかね、前かがみで歩いている。 彼らの先祖も悪い者だった。 彼らは生まれながらの悪人で、 わたしに背き、わたしをさげすんだ。 自分から、わたしの助けを断わったのだ。
重い束縛を受けて、疲れはてている人たちよ。さあ、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。
ああ、いまわしいパリサイ人、ユダヤ教の指導者たち。あなたがたは偽善者です。神の国に入ろうとしている人たちのじゃまをし、自分でも入ろうとはしないのです。
町の大通りで、見栄のための長い祈りをし、聖者のようなふりをしながら、未亡人の家を食いものにしています。偽善者たち。
このイエスの奇跡の評判は、ガリラヤの外にまで広がったので、シリヤのような遠方からも、人々は病人を連れてやって来ました。悪霊につかれた人、てんかんの人、中風(脳の出血などによる半身不随、手足のまひ等の症状)の人など、その病気や苦しみがどのようなものであろうと、一人残らず治るのです。
覚えがあると思いますが、あなたがたは異教徒であった時、ひとことも口がきけない偶像のもとへあちこち出かけたものでした。
ふしだらな生活をしている未亡人は、世話をする必要がありません。彼女たちのたましいは死んでいるのです。
しかし、金持ちになりたがる人はもうけ話に見境がなく、すぐ悪に走ってしまいます。その結果、ひどい目に会い、心を汚し、ついには地獄へ送り込まれることになります。
そんな議論は直ちにやめさせなさい。それで、すでに何家族かが神の恵みから離れてしまいました。そんなことを教える者たちの目当ては、一にも二にも金もうけです。
以前の私たちも、分別の足りない不従順な者であり、人に迷わされ、さまざまな快楽や欲望のとりこになっていました。心は悪意とねたみの固まりで、憎んだり憎まれたりしながら生活していました。
彼らは臆面もなく、やっとの思いで罪の生活から足を洗った人たちを、肉の欲望や誘惑によって、もう一度罪に誘い込もうとしているのです。
愛する皆さん。あなたがたは、このことを前もって知っているのですから、偽教師たちの誤った考えに惑わされて、確固としたものを失わないようによく注意しなさい。
彼らはいつも不平を言うだけで、ただ欲望のままに歩んでいます。どんな悪事でも平気で行い、大口をたたき、彼らが少しでも人をほめるとすれば、相手から何かをもらおうという魂胆がある時だけです。
終末の時代には、主をあざける者たちが現れるはずではありませんか。彼らの生きがいは、思いつくかぎりの悪を行うことです。
こう言うのも、実は、神を恐れない者たちが、あなたがたの中に忍び込んで来たからです。彼らの主張はこうです。「クリスチャンとなったからには、もう神のさばきなど、くよくよ考える必要はない。何でも自由にやりたいことをやればいい。」彼らはずっと昔から、聖書に書かれているとおりの運命をたどる者たちで、私たちのただひとりの支配者であり主であるイエス・キリストを否定しているのです。