どうか、再びキリストのおいでになる日に、主が、彼を特別に祝福してくださいますように。エペソでの彼の献身ぶりは、あなたのほうがよく知っています。
それから、主に祈りました。「ああ、神様。なぜ、私の世話をしてくれた人の子どもを死なせたのですか。」
主は私たちの先祖をあわれみ、 特にアブラハムをあわれみ、 彼と結んだ聖なる契約を果たされた。
これはみな、ただ神の深いあわれみによることだ。 天の夜明けがいま訪れようとしている。
ヘロデ王の執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナをはじめ、自分の財をもって、イエスや弟子たちの世話をする大ぜいの女性がいました。
一行がエペソに着くと、パウロは二人を船に残したまま会堂へ出かけ、ユダヤ人たちと議論を戦わせました。
アポロがコリントにいる間に、パウロはトルコを通ってエペソに来ました。そこで会った何人かの弟子たちに、パウロは尋ねました。
そして、主が再び来られるその日に、あなたがたが罪も欠点もない者と認められるように、主は最後まで責任をもって守ってくださいます。
ただ、五旬節(ユダヤ教の祭りの一つ)まではエペソを離れません。
やがて、すべてがテストされる、キリストのさばきの日が来ます。その時には、建築家が各自どんな材料で建てたかが明白になります。それぞれの仕事は火でテストされ、なお価値が変わらないかどうか、ほんとうに完璧な建物かどうかが、だれの目にも明らかになります。
神の民である人々を援助することについては、今さら言う必要はありません。
しかし神は、なんとあわれみに満ちたお方でしょう。こんな私たちを深く愛してくださって、
私たちに希望と喜びを与え、誇りの冠となってくれるものは、いったい何でしょうか。それはまさに、あなたがたなのです。そうです。主イエス・キリストが再び来られる時、御前で大きな喜びをもたらしてくれるのは、あなたがたなのです。
私がマケドニヤ(ギリシヤ北部の州)に出発する際、指示しておいたように、あなたは引き続きエペソの教会にとどまり、まちがった教えを言い広めている者の口を封じてください。彼らの作り話や伝説、また、むなしい系図論争を終わらせなさい。このような教えは、信仰によって救われるという神のご計画を妨げるばかりか、かえって、さまざまの疑問と議論を巻き起こすもとになります。
そのために、私はいま獄中で苦しんでいます。しかし、それを恥とは思いません。なぜなら、私は自分が信頼している方をよく知っており、またその方は、私がお任せしたものをみな、再び来られるその日まで安全に守ってくださると確信しているからです。
どうか主が、オネシポロとその家族とを祝福してくださいますように。彼はたびたび私を訪ね、励ましてくれました。彼が来るたびに、私はたいへん元気づけられたのです。しかも彼は、私が獄中にいることを、少しも恥ずかしいこととは思いませんでした。
その証拠に、彼はローマに着くとすぐあちこち捜し歩いて、ついに私を訪ねあててくれたのです。
〔テキコも、今はここにいません。エペソへ使いにやりました。〕
天では栄冠が待っています。正しい裁判官である主が再び来られる日にいただく冠です。もちろん私だけにではなく、主を熱心に待ち望む人々全員に授けられるのです。
神は、決して不公平な方ではありません。あなたがたが神のために熱心に働いてきたことや、同胞にずっと援助の手を差し伸べてきた愛をお忘れにはなっていません。
この救いについては、昔の預言者も完全に知っていたわけではありません。救いの預言はしましたが、それが実際には何を意味しているのか、自分でもよくわからなかったのです。
エペソにある教会の指導者あてに、次のように書き送りなさい。『七つの教会を巡り、右手で七つの教会の指導者を支えておられる方が、こう言われます。