死ぬことのない、ただひとりの方であり、だれも近づくことのできない、まばゆい光の中に住んでおられます。人はだれも神を見たことはありませんし、これからも決して見ることはできません。どうか、このまことの神に、誉れと永遠の権威と支配とが、いつまでもありますように。アーメン。
全能者の力を推し量ることはできない。 しかし、神はこの上なく正しく、 思いやりにあふれているので、私たちを滅ぼさない。
大地が造られ、山が生まれる前から、 あなたは神であられました。 あなたには初めも終わりもないのです。
「わたしは『わたしはある』(「永遠に生ける神、創造者」の意で、イスラエルの神の名。「主」のもともとの意味)という者だ。『「わたしはある」という方から遣わされた』と言えばよい。
しかし、あなたはわたしの顔の栄光を見てはならない。わたしを見た者で、生きている者はいない。
永遠を住まいとする 高く上げられた聖なるお方が語ります。 「わたしは高くて聖なる所に住んでいるが、 そこには、心のへりくだった謙遜な人が住む。 わたしは謙遜な人を生き返らせ、 悔い改めた人に新たな勇気を起こさせる。
両手からは、まばゆいばかりの光が放たれます。 神は恐るべき力を秘め、
いまだかつて、実際に神を見た人はいません。しかし、神のひとり子だけは別です。御子は父なる神といつもいっしょですから、神について知っていることを教えてくださいました。
「ピリポ。こんなに長くいっしょにいるのに、わたしがどういう者かまだわからないのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。それなのにどうして父を見せてくださいなどと言うのですか。
実際に父を見た者は一人もいません。ただわたしだけが、この目で父を見たのです。
「アブラハムが生まれるずっと前から、わたしはいるのです。これは、まぎれもない事実です。」
どうか、キリスト・イエスによって、教会に救いの計画をもたらしてくださった神に、栄光が永遠にありますように。アーメン。
手を天に差し伸べ、わたしの存在をかけて誓おう。 きらめく剣をとぎすまし、敵に刑罰を下す。
父なる神に、栄光が、とこしえに限りなくありますように。アーメン。 パウロ
キリストは、目には見えない神のかたちであり、神がすべてのものをお造りになる前からおられました。
どうか、永遠の王であり、決して死ぬことのない、目には見えない、ただひとりの神に、栄光と誉れがいつまでもありますように。アーメン。
イエス・キリストは、昨日も今日も、いつまでも変わることがありません。
すべての良いもの、完全なものは、光を造られた神から来るのです。神にはわずかの変化もくもりもなく、いつまでも輝いています。
神は光であられ、そのうちには少しも暗い部分がありません。これが、神が私たちにゆだねられた、あなたがたへの知らせです。
しかし、神の光の中におられるキリストにならって、私たちも光の中で生活すれば、互いにすばらしい交わりを持ち、神の子イエスの血が私たちをすべての罪からきよめるのです。
私たちは、だれも神を見たことがありません。しかし、互いに愛し合う時、神は私たちの心の中に住んでくださり、心の中にある神の愛を、なおいっそう強めてくださるのです。
またこの方は、私たちを神の国の民として集め、父なる神に仕える祭司としてくださいました。イエス・キリストが永遠にほめたたえられますように。そのご支配が永遠に続きますように。アーメン。
今も昔も存在し、やがて来られる全能の主なる神が、こう言われます。「わたしはあらゆることの初めであり、終わりである。」(イザヤ41・4)
私は、王座から大声で叫ぶ声を聞きました。「ごらんなさい。神の住まいが人々の間にあります。神は人々と共に住み、人々は神の国民となります。神ご自身が人々の中に住み、
都には夜がありません。ですから、明かりも太陽もいりません。神である主が、光そのものだからです。人々は永遠に支配し続けるのです。
「おお主よ。あなたは栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。すべてのものをお望みどおりに造り、存在させておられるのですから。」
こう言いました。「アーメン。祝福と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いとが、永遠に神にありますように。アーメン。」