牧師になる人は、非難されるところがなく、一人の妻の夫で、勤勉で思慮深く、折り目正しい生活をしている人であるべきです。また、客をよくもてなし、聖書を教える力がなければなりません。
わたしの立てた見張りであり羊飼いである イスラエルの指導者は、みな目が見えないので、 危険に気づかない。 みな愚かで、危険が近づいても警告しない。 寝ころんで夢を見るのが大好きだ。
この夫婦は神を愛し、神のおきてを忠実に守り、心から従っていました。
その日、女預言者アンナも神殿にいました。彼女はアセル族のパヌエルの娘で、非常に年をとっていました。七年の結婚生活の後、未亡人で通し、もう八十四歳にもなっていたのです。彼女は神殿を一歩も離れず、祈りと断食に明け暮れ、神に仕える毎日を送っていました。
仲間が困っている時には、助けてあげなさい。客を家に招いてもてなし、宿が必要なら泊めてあげるようにしなさい。
だれからも非難されないためです。心の曲がった邪悪な世の中にあって、あなたがたは神の子どもとして、汚れのない、きよらかな生活を送りなさい。世の人々の間で、いのちのことばを高く掲げ、世の光として輝きなさい。そうすれば、キリストが帰って来られた時、私はあなたがたに対する労苦がむだでなかったことを知り、どんなに喜ぶことでしょう。
執事は、一人の妻の夫で、家族のだれからも慕われる円満な家庭の主人であるべきです。
教会の執事も、牧師と同じように、善良でまじめな人でなければなりません。大酒飲みや、不正な利益をむさぼる人でなく、
彼らは結婚を禁じたり、肉を食べることを禁じたりします。しかし食物は、神が私たちに喜び楽しむようにと備えてくださったものです。
また、これまで良い行いで認められ、評判の良かった人でなければなりません。次のことを調べる必要があります。子どもをりっぱに育て上げたかどうか。クリスチャンに限らず、見知らぬ旅人をも親切にもてなしたかどうか。病人や困っている人に助けの手を差し伸べたかどうか。だれにでも、やさしくふるまってきたかどうか。
牧師を選ぶ時は慎重にしなさい。そうでないと、その人の罪を見のがす結果になり、あなたもその罪を黙認したことになるからです。あなたも、いっさいの罪から離れ、きよい生活をしなさい。
教会が認める奉仕者となる未亡人には、一定の条件をつけるべきです。すなわち、少なくとも六十歳以上で、結婚歴は一度に限らなければなりません。
クリスチャンは争ってはなりません。過ちを犯している人を、やさしく忍耐をもって正すことができるようになりなさい。
老人には、まじめで落ち着いた生活をするように、慎み深く、すべての点で信仰と愛と忍耐とをもって行動するように勧めなさい。
よそから来た人を、親切にもてなしなさい。そうして、気づかないうちに天使をもてなした人もいます。
もし私たちが、初めてキリストを信じた時と同じ気持ちで神に信頼し、最後まで忠実であれば、キリストにある祝福を受けることができるのです。
世の終わりが近づいています。ですから、分別を持ち、身を慎んで祈りなさい。
食べる物に困り、宿のない人がいたら、気持ちよく家に迎え入れてあげなさい。
最大の敵である悪魔の攻撃に備えて、警戒しなさい。悪魔は、飢えてほえたけるライオンのように、引き裂くべき獲物を求めてうろつき回っているのです。