また年をとった女性には、何事にも敬虔であることを忘れないように、陰口をたたいたり、大酒を飲んだりせず、人生経験を積んだ人にふさわしく良い手本となるように勧めなさい。
それで彼らの生活は、あらゆる悪と罪に染まり、むさぼりや憎しみ、ねたみ、殺意、争い、偽り、非情、陰口に満ちた者となりました。
どうか、主にある姉妹として、あたたかく歓迎してあげてください。できることは何でもして、助けてあげてください。この人はこれまで、私も含めて、多くの困っている人を助けてきてくれたのです。
あなたがたの間に、性的な罪やふしだらな行い、貪欲があってはなりません。そんなことで、だれからも非難されないようにしなさい。
執事の妻〔または婦人執事〕も、思慮深く、陰口をきかず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。
教会の執事も、牧師と同じように、善良でまじめな人でなければなりません。大酒飲みや、不正な利益をむさぼる人でなく、
だからといって、ぶどう酒を全く断つ必要はありません。病気がちの人には、むしろ胃の薬として、時々は少量を飲むように勧めます。
牧師は神に仕える者ですから、だれからも非難されない人であるべきです。高慢な人、短気な人、大酒飲み、けんか好き、金銭欲の強い人に、その資格はありません。
そうすれば、彼女たちは若い女性たちに、夫と子どもとを愛し、慎み深く、家事に精を出し、やさしく、夫に従順であるようにと、さとすことができるのです。そうなれば、クリスチャンの信仰が、身近な人たちからさげすまれることもないでしょう。
あなたがたは、もう長い間、クリスチャンとして生きてきました。ほかの人を教えても当然なのに、もう一度、神のことばのイロハから手ほどきしてもらわなければならないほどになっています。固形物を食べるまでには成長せずに、いつもミルクばかり飲んでいる赤ん坊のようです。クリスチャン生活のごく初歩の段階を行ったり来たりして、善悪の区別さえおぼつかない状態なのです。
しかしなお、非難すべき点があります。あのイゼベルという女を放任しているではありませんか。自ら女預言者と称しているあの女は、不品行など大した罪ではないと、クリスチャンをそそのかしています。しかも、そう口にするだけでなく、実際に不品行を行わせ、偶像への供え物の肉を食べさせようとしているのです。