ダリヨス王は国を百二十の州に分け、それぞれに知事を置きました。
アハシュエロスは、インドからエチオピヤにまで及ぶ広大なメド・ペルシヤ帝国の皇帝でしたが、その治世の第三年に、シュシャンの王宮で盛大な祝宴を催しました。皇帝は各地から、総督、随員、将校たちをみな招待しました。
バビロンめざして、メディヤ人の王たちと将軍たち、 その支配下の国々の軍隊を攻め上らせなさい。
メディヤ人ダリヨスをその治世の第一年に力づけ、助けるために遣わされたのは、この私だった。
それから、命令を発して、すべての君主、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官および各州の知事たちを召集し、その像の除幕式に出席させることにしました。
メディヤ人ダリヨスが都に入り、その国を支配するようになりました。時に、ダリヨスは六十二歳でした。
州知事の上に三人の大臣を置き、ダニエルはその一人でした。この三人への報告を義務づけることで、王は効果的に王国を治めることができました。
時が過ぎて、今やアハシュエロスの子ダリヨス王の治世の第一年となりました。ダリヨスはメディヤ人でしたが、カルデヤ の王となったのです。