そして今、神への聖なる祝宴の時も、わたしのことなど考えず、自分たちのことばかり考えている。
それから、喜びに胸を躍らさせながら主の前に祝宴を張り、大いに食べたり飲んだりしました。 そのあと、改めて主の前でダビデの子ソロモンに油を注ぎ、王としました。同時に、ツァドクにも油を注いで祭司としました。
いけにえの子羊を持って来なかったし、 供え物をささげて、わたしをあがめもしなかった。 わたしが自分からささげ物を要求したことは、 ほとんどない。あなたがたを奴隷扱いしたこともない。
彼らは不満げに言う。 『あなたの前で断食したのに、 なぜ心に留めてくださらないのですか。 なぜ、私たちのいけにえをごらんにならないのですか。 どうして、私たちの祈りを 聞いてくださらないのですか。 たくさんの罪滅ぼしをしたのに、 目も向けてくださいませんでした。』 その理由を説明しよう。 おまえたちは断食の最中にも悪い楽しみにふけり、 雇った労働者を虐げている。
この民は、いけにえの儀式を好むが、 わたしにとっては無意味なものだ。 わたしは彼らの罪の清算を要求し、罪を罰する。 彼らはエジプトに戻る。
祖国を遠く離れたその地では、神へのささげ物として ぶどう酒を注ぐことは許されない。 その地でささげられるいけにえは、 どれも神を喜ばせることができないからだ。 それは、葬式の食物のように汚れている。 そのようないけにえを食べる者は汚れる。 自分のためにそれを食べるのはかまわないが、 神にささげることは許されない。
「ベテルに帰ったら、全住民と祭司たちに言いなさい。『捕囚の七十年間、あなたがたは第五の月と第七の月に断食して嘆いたが、本気で罪から離れてわたしに帰ろうとしたか。全く、そんなことはなかった。
昔、エルサレムが栄え、その南方にも平地に沿って人が大ぜい住んでいたころ、預言者が警告していたのは、このような状態のままでは滅びを免れないということだったが、そのとおりになった。』」
しかし、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。
そこで家族とともに主の前で食事をし、恵みを喜び祝いなさい。
着いてから、その金で牛や羊、ぶどう酒や強い酒など、何でも欲しい物を買い、家族とともに主の前で楽しく食事し、祝い合いなさい。
何をするにも、何を語るにも、主イエスの代理人として行動し、主イエスと共に、父なる神の前に出て、心から感謝しなさい。
しかし、主は言いました。「容貌や背の高さで判断してはいけない。彼ではない。わたしの選び方は、あなたの選び方とは違う。人は外見によって判断するが、わたしは心と思いを見るからだ。」