当時、イスラエルはペリシテ人と戦っていました。イスラエル軍はエベン・エゼルの近くに陣を敷き、ペリシテ軍はアフェクまで進出していました。
翌年、ベン・ハダデはシリヤ軍を動員し、再びイスラエルと戦うためにアフェクに向けて進軍しました。
生き残った者は、アフェクの城壁の裏に逃げました。ところが、城壁がくずれ落ちて、さらに二万七千人が死にました。ベン・ハダデは町の中に逃げ込み、ある家の奥に隠れました。
ゲバル、アモン、アマレク、 ペリシテ、ツロの住民たち、
族長も、国民も、裁判官も、行政官もみな、主の前に立っています。
アコ、アフェク、レホブなど、合計二十二の町と周辺の村々が含まれていました。
さて、ペリシテ軍はアフェクに集結し、イスラエル軍はイズレエルにある泉のほとりに陣を張りました。
主はサムエルに告げました。「わたしは、イスラエルに衝撃的なことを行うつもりだ。
ペリシテ軍はイスラエル軍を撃破し、イスラエルでは約四千人の犠牲者が出ました。
ペリシテ人は奪い取った神の箱を、エベン・エゼルの戦場からアシュドデの町へ移し、偶像ダゴンの宮に運び込みました。
この時サムエルは、一つの石をミツパとシェンの間に置き、「ここまで主が私たちをお助けくださった」と言って、エベン・エゼル(「助けの石」の意)と名づけました。