ですからキリストは、ご自分に属する人々からなる体〔すなわち教会〕のかしらです。キリストは、だれよりも先に死者の中から復活された方です。こうしてキリストが、あらゆる点で第一の地位を占めておられるのです。
わたしは彼を長男として迎え、 地上で最強の王としよう。
私の愛する方は日焼けして魅力的で、 ほかのどの男の方よりすてきです。
「見よ。わたしのしもべ(メシアである主イエス)は 繁栄し、高く上げられる。
だがあなたがたは、だれからもそう呼ばれないようにしなさい。なぜなら、神だけがあなたがたのラビであって、あなたがたはみな同じ兄弟だからです。
イエスは弟子たちに言われました。「わたしには天と地のすべての権威が与えられています。
まだこの世界に何もない時から、キリストは神と共におられました。キリストは、いつの時代にも生きておられます。キリストは神だからです。
この方の恵みは尽きることがありません。私たちはみな、次から次へと、あふれるばかりに恵みをいただきました。
まもなく、あなたがたの間で働きを始められるでしょう。私にはその方のしもべとなる資格もないのです。」
私が話しているのは、キリストは苦しみを受け、死者の中から最初に復活して、ユダヤ人にも外国人にも光をもたらすということだけです。」
というのは、神はあらかじめ、ご自分のもとに来る人を知っていて、そのような人々がご自分の御子と同じになるように、最初から定めておられたからです。それは、御子イエスを多くの主を信じる者たちの長子とするためでした。
しかし、知っておいてほしいことが一つあります。それは、妻は夫に責任があり、夫はキリストに責任があり、キリストは神に責任がある、ということです。
私は次のことを言いたいのです。すなわち、あなたがたは共に、キリストという一つの体であり、一人一人がなくてはならない部分であるということです。
王としてキリストが支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。
それは、時が来れば、天でも地でもあらゆるものが、キリストのもとに一つにまとめられるということです。
なぜなら、キリストの体である教会がキリストにゆだねられているように、妻は夫にゆだねられているからです。
いま私は、あなたがたのために苦しむことも、私の務めとして喜んでいます。キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの残された部分を担っているからです。
彼らはキリストにつながっていません。しかし、キリストの体を構成する私たちは、キリストをかしらとして結びついています。私たちは、関節と筋肉によって互いにしっかり結び合わされ、神から養分と力とをいただいて成長するのです。
私は、この世界が造られる前から存在しておられたキリストをこの目で見、そのことばをこの耳で聞き、その体にこの手でふれました。キリストは、神のいのちのことばです。
さらに、私たちにすべての真理を忠実に示してくださるイエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたに注がれますように。このイエス・キリストは、使者の中から最初に復活された方であり、二度と死ぬことのない方です。この方は、地上のどの王よりもはるかに偉大で、私たちに変わらぬ愛を注ぎ、罪から解放するために、自分の血を流してくださいました。
今も昔も存在し、やがて来られる全能の主なる神が、こう言われます。「わたしはあらゆることの初めであり、終わりである。」(イザヤ41・4)
第七の天使がラッパを吹き鳴らすと、天から大きな声が響きました。「世界はすべて、主とキリストの手に渡った。主は永遠に支配者である。」
いっさいのわざが成し遂げられました。わたしは初めであり、終わりです。のどの渇いている者には、いのちの水の泉をあげましょう。
わたしは初めであり、終わりです。最初であり、最後です。」
ラオデキヤにある教会の指導者に、次のように書き送りなさい。『この手紙は、確固として立つ方、忠実で、過去、現在、未来にわたって存在する万物の真の証人である方、神に造られたものの根源である方からのものです。