しかし、次のことは心にとめておいてください。すなわち、少ししか与えない者は、少ししか受け取れないということです。少ししか種をまかない農夫は、わずかの収穫しか得られません。たくさんまけば、たくさん刈り取ります。
悪いことをしてもうけた金はすぐになくなり、 正しいことをして得た報酬はいつまでも残ります。
貧しい人に手を差し伸べるのは、 主に貸すのと同じです。 あとで主が報いてくれます。
親切な人は貧しい人に食べ物を分けて喜ばれます。
惜しみなく与えなさい。 あなたが与えた者は、 あとになって戻って来るからだ。
手を休めずに種をまきなさい。どの種が芽を出すか、わからないからです。もしかしたら、全部芽を出すかもしれません。
与えなさい。そうすれば与えられます。彼らは、量りのますに、押し込んだり、揺すり入れたりしてたっぷり量り、あふれるばかりにして返してくれます。自分が量るそのはかりで、自分も量り返されるのです。」
ある人は「私はパウロの弟子だ」と言い、また、ある人は「私はアポロの弟子だ」とか「私はペテロの弟子だ」と言い、また、ある人は「自分たちだけがキリストの真の弟子だ」と言っているそうですね。
しかし、事実、キリストは死者の中から復活しました。そして、復活が約束されているすべての人の初穂(その年の収穫の最初の束)となられたのです。
私たちに残された時間はきわめて短く、主の働きをする機会もきわめて少ないのです。そういうわけで、妻のある者も、主のためにできるだけ身軽にしていなければなりません。
農夫にまく種を与え、そのあと収穫物を与えてくださる神様は、あなたがたにもまく種を備え、それをふやして、あなたがたに義の収穫の実をもっと与えることができるのです。
そこで、あなたがたが前に約束した贈り物の準備が整っているかどうか見るために、この友人たちにお願いして、先発隊として行ってもらうことにしました。それが真心からの贈り物であって、強制されたものでないようにと願っています。
私の言おうとすることはこうです。つまり、信仰によって救うという神の約束――神様はそれを文書にし、署名されました――は、その後四百三十年たって、神が「十戒」という律法をお与えになった時にも、無効とされたり、変更されたりはしなかったということです。
あなたがたに勧めます。聖霊の導きに従いなさい。聖霊は、どこへ行くべきか、何をなすべきか教えてくださいます。そうすれば、自分の肉の欲望のおもむくままに走ることはありません。
そこで私は、主にあって、このことを言わせていただきます。もうこれから先、救われていない人のようにむなしい生き方をしてはなりません。
私がこう言うのは、あなたがたが、だれかの巧みなことばでだまされはしないかと心配なのです。
神は、決して不公平な方ではありません。あなたがたが神のために熱心に働いてきたことや、同胞にずっと援助の手を差し伸べてきた愛をお忘れにはなっていません。