「エルサレムのクリスチャンを援助できるのは光栄です。ぜひその仲間に入れてください」と、熱心に願ったのです。
また、この小さい者のひとりに、わたしに代わって冷たい水一杯でも与えるなら、よく言っておきますが、その人は必ず報いを受けるのです。」
天におられるわたしの父に従う人はだれでも、わたしの母であり、兄弟であり、姉妹なのです」と言われました。
『あなたがたが、これらの困っている一番小さい人たちに親切にしたのは、わたしにしたのと同じなのです。』
貧しい人たちは、いつも身近にいるのだから、その気があれば、いつでも助けることができます。しかし、わたしはもう、そんなに長くこの地上にいないのです。
そこでアンテオケのクリスチャンは、協議の結果、ユダヤのクリスチャンのために、できる限りの援助をすることにしました。
彼女は一家をあげてバプテスマ(洗礼)を受けると、「私を主に忠実な者とお思いくださるなら、どうぞ家にお泊まりください」としきりに言うので、私たちはその招待を受けることにしました。
私は何年ぶりかで、ユダヤ人への支援金を携え、神に供え物をささげようと、エルサレムに帰ってまいりました。
エルサレムにいる、クリスチャンでないユダヤ人から、私が守られるよう祈ってください。また、私の持って行くお金を、エルサレムの教会が喜んで受け取ってくれるようにも祈ってください。
さて、エルサレムのクリスチャンあての献金については、次のようにお願いしたいのです。〔この件に関しては、ガラテヤの諸教会にも同様に通知しておきました。〕
ステパナとその一家を覚えているでしょう。ギリシヤで最初にクリスチャンになった人たちです。今、あちこちのクリスチャンのために、熱心に援助や奉仕の活動をしています。
神の民である人々を援助することについては、今さら言う必要はありません。
ただ一つ、貧しい人たちを援助することをいつも忘れないように、と言われましたが、そのことなら、私も熱心に努めてきたところです。
ですから、機会あるたびに、だれに対しても、特に信仰を持つ人たちには親切にしましょう。
また、これまで良い行いで認められ、評判の良かった人でなければなりません。次のことを調べる必要があります。子どもをりっぱに育て上げたかどうか。クリスチャンに限らず、見知らぬ旅人をも親切にもてなしたかどうか。病人や困っている人に助けの手を差し伸べたかどうか。だれにでも、やさしくふるまってきたかどうか。
神は、決して不公平な方ではありません。あなたがたが神のために熱心に働いてきたことや、同胞にずっと援助の手を差し伸べてきた愛をお忘れにはなっていません。