キリストと悪魔との間に、何の調和があるでしょう。クリスチャンが、信じていない人とどうして手をつなぐことができましょう。
エリヤは民に、こう語りかけました。「いつまで迷っているのか。イスラエルの主がほんとうの神なら、主に従いなさい。もしバアルが神であれば、バアルに従いなさい。」
しかし、ゼルバベルやヨシュアをはじめ指導者たちは、口をそろえて断りました。「いや、それには及びません。イスラエルの神様の神殿は、クロス王の命令のとおり、イスラエル人の手で再建すべきです。」
信じてバプテスマ(洗礼)を受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
こうして、男女を問わず、主を信じる者がますます増えていきました。
しかし、ペテロは答えました。「その金もろとも滅んでしまいなさい! 金で神の賜物が買えるとでも思っているのか。とんでもない見当違いだ。
だから、クリスチャンがクリスチャンを訴え、しかも、それを不信者の前に持ち出すようなまねをするのですか。
自分の親族、ことに家族を顧みないような人は、クリスチャンと呼ぶわけにはいきません。神を知らない人よりも悪いのです。
ですから、キリストを死から復活させ、栄光をお与えになった神を信じましょう。あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。
夕食の席がしだいにはなやいできた時、ならず者の一団が家を取り囲み、戸をたたき始めたのです。彼らは大声で、「おまえの所に泊まった男を出せ。そいつに興味があるのだ」とどなります。
あの悪事を働いた者たちを引き渡せ。彼らを処刑して、イスラエルから悪を除き去るのだ。」 しかし、ベニヤミン族は聞こうとはしませんでした。
ところでエリの息子たちは、主をないがしろにする、不道徳でよこしまな者たちでした。