今はむしろ、赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、あまりの悲しみと絶望に打ちひしがれて、立ち直れなくなるかもしれません。
主が姿を現されると、御前から出る激しい火が、 彼らをたちどころに滅ぼします。 その子らも共に倒されます。
すると、愛と真実の神は、 天から手を差し伸べて救ってくださいます。 私を亡き者にしようと、必死になっている うそつきどもから、救ってくださるでしょう。
正しい者も悪い者も見境なく。
心が陽気になれば体も健康になり、 気がふさげば病気になります。
しかし今のところ、 エルサレムは酔いどれの手に握られています。 祭司も預言者も足もとがふらつき、 考えられない過ちを犯します。
この時、「死は勝利にのみ込まれた」(イザヤ25・8)という聖書のことばが現実となるのです。
ですから、あなたがたが今もどんなに深くその人を愛しているか、どうぞ示してあげてください。
この地上の体のために嘆きやうめきがありますが、だからといって、死んで、体のない状態になりたいとは思いません。その新しい体を着たいと願うばかりです。そうすれば、この死ぬべき体が、永遠のいのちにのみ込まれてしまうからです。
神様は時々、罪を断ち切り、永遠のいのちを求めさせるために、私たちに悲しみを与えます。そのような悲しみを嘆いてはなりません。しかし、この世の人の悲しみは、真の悔い改めに導く悲しみではないので、永遠の死を食い止める力がありません。
むしろ、互いに親切にし、心のやさしい人になりなさい。そして、神がキリストにあってあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
病気のことはほんとうです。実際、危うくいのちを落とすところでした。しかし神は、エパフロデトをあわれんでくださったのです。もうこれ以上、悲しみが重ならないようにとの、私へのあわれみでもありました。
互いに耐え、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったのですから、あなたがたも、人を赦すべきではありませんか。
それから、皆さん。クリスチャンが死んだらどうなるか、よく知っておいてほしいのです。悲しみのあまり取り乱して、何の希望もない人たちと同じようにならないためです。
最後に、皆さん。ここで私たちは、主イエス・キリストの名により、その権威を受けて命じます。私たちが身をもって示した教えに従わず、何もせずにだらだらと日を過ごしている人たちとは絶交しなさい。