そちらに行って、しかったり罰したりしないですむようにと願いつつ、今この手紙を書いています。私に託されている主の権威を、あなたがたを罰するためにではなく、強くするために使いたいからです。
さあ、あなたがたはどちらを選びますか。私が罰と叱責を持って行くほうですか。それとも、愛とやさしい心とを持って行くほうですか。
私がそちらに行って、わざわざきびしくふるまって見せなくてもすむように、と願っています。もっとも、私の言動が普通の人間と少しも変わらないと見くびっている人々に対しては、きびしくふるまうつもりですが。
悪魔の要塞を打ち破るために、人間の手によらない神の強力な武器を使います。
手紙では、あなたがたに対する権威――それは人を助けるためのものであり、傷つけるためではありません――を、必要以上に誇っているように見えるかもしれません。しかし、それについては多少誇りすぎても、恥とはならないでしょう。
私は、前回の滞在中、前から罪を犯していた人たちにすでに警告しておいたはずですが、今また、彼らだけでなく、あなたがた全員に警告します。次に会ったら、きびしく罰するつもりです。手かげんはしません。
私たちの務めは、いついかなる時にも、正しいことを勧めることであって、悪を望むことではありません。
前の手紙であのように書いたのは、私が行く前に、あなたがたの手で事を処理してもらいたかったからです。そうすれば、会って、一番喜ばせてくれるはずの人たちから、悲しい思いをさせられなくてすむでしょう。あなたがたの喜びと私の喜びとは、切っても切れない関係なのですから。私が喜び勇んで行くのでなければ、あなたがたも幸福な気持ちにはなれません。
健全な生活と福音に対する理解と忍耐とによって、自分の口に偽りがないことを証明してきました。いつも親切にし、愛に富み、聖霊に満たされてきました。
まさにそのとおりです。ですから、人々を甘やかさず、その信仰を強めるように、きびしく教育しなさい。