私の使徒としての権利を問題にする人たちに対して、次のように答えることにしています。
裁判を受けるために役人や会堂の権力者たちの前に引き出されても、どう釈明しようかなどと心配してはいけません。
「私の兄弟とも父とも言うべき皆さん。どうか、私の申し上げることを聞いてください。」
もちろん私は、ローマの法律では、裁判もせずに人を有罪にはできないと答えました。それでこの男に、訴える者たちの前で釈明する機会を与えることにしたのです。
預言の賜物や、そのほか聖霊が与えてくださる賜物に恵まれていると自認する人はまず、私の主張が主からの命令であると認めなければなりません。
たとえほかの人が私を使徒と認めなくても、あなたがたにとって、私は確かに使徒なのです。あなたがたは、私を通してキリストに導かれたのですから。
いったい私には、どんな権利もないのでしょうか。ほかの使徒たちのように、あなたがたの家で、客としてもてなしてもらう権利はないのでしょうか。
そちらに行って、しかったり罰したりしないですむようにと願いつつ、今この手紙を書いています。私に託されている主の権威を、あなたがたを罰するためにではなく、強くするために使いたいからです。
あなたがたは、キリストがほんとうに私を通して語っておられるかどうか知りたいのでしょうから、その証拠を示します。キリストは、あなたがたに弱い態度をとられるのではなく、あなたがたの内部で強大な力を発揮なさいます。
よくよく自分を吟味しなさい。ほんとうにクリスチャンだと言えますか。クリスチャンとしてのテストに合格していますか。自分の内に住まれるキリストと、そのあふれる力とを、いよいよ強く実感していますか。
ところが別の人たちは、自分たちの成功によって、獄中にある私の苦痛がもっと増すだろうと考えて、つまり、私にねたみ心を起こさせようとして伝道しているのです。
こう考えるのは、きわめて当然です。あなたがたは、私にとって特別な存在なのですから。私が獄中にある時も、自由の身でキリストの福音を語っている時も、あなたがたは、私と共に神の祝福をいただいたからです。
私が初めて、裁判官の前に連れ出された時、弁護してくれる人は一人もいませんでした。だれもが見捨てて、逃げてしまったのです。どうかそのことで、彼らが神から責められませんように。