私たちに残された時間はきわめて短く、主の働きをする機会もきわめて少ないのです。そういうわけで、妻のある者も、主のためにできるだけ身軽にしていなければなりません。
「とんでもございません。私はもう、あまりにも年をとりすぎております。
短くむなしい人生を、どのように過ごすのが最善なのかはだれにもわかりません。死んだ先のことまで考えると、何が最善かを知ることはできません。将来のことがわかる人は一人もいないのです。
何をするにしても、りっぱに仕上げなさい。あなたが行くことになる死後の世界では、仕事も計画も知識も知恵もないからです。
さあ、その時がきた。その日が近づいた。神の怒りがその地に臨むので、買う物もなく、売る物もなくなる。
またある人は、結婚したばかりで行くことができないと断りました。
もし男性が、どうしても結婚しようと決心し、今そうしたとしても、それは正しいことです。また、このような時に女性が結婚したとしても、罪を犯すわけではありません。ただし、結婚すれば、余計な問題をかかえ込むことになるでしょう。今は、そんな目に会ってほしくないのです。
喜びや悲しみ、財産などが、神の仕事をする妨げになってはなりません。
この世の魅力的なものに接することの多い者たちは、その機会を正しく利用し、おぼれることがないようにしなさい。現在の世界は、やがて過ぎ去るからです。
生まれながらの古いいのちは、枯れてしまう草のようです。どんな栄誉も、やがてはしぼみ、散っていく花と同じです。
世の終わりが近づいています。ですから、分別を持ち、身を慎んで祈りなさい。
この世は、やがて滅び去ります。同時に、これらの禁じられた欲望も消滅します。しかし、常に神に従って歩む者は永遠に生きるのです。