いつか、私たちクリスチャンがこの世をさばき、支配する日が来ることを知らないのですか。この世こそあなたがたにさばかれる運命にあるのに、どうしてあなたがたは、内輪のそんなささいな事件さえ解決できないのですか。
死が全人類を飼い慣らしています。 異なる世界に目覚めたその朝、 邪悪な者たちは正しい人々の奴隷となるのです。 死んでしまえば、 金の力により頼むことはできなくなります。 金を持って死ぬことはできないのですから。
だが最後には、いと高き神の民が、代々限りなく世界を治めるようになる。』
しかしその勝利も、永遠の神が来て法廷を開き、神の民の正しさを立証して、彼らに全世界を治める権威をお与えになるまでのことでした。
谷は町の門に通じているので、あなたがたはそこを通って逃げます。何世紀も昔、ユダのウジヤ王の時代に、民が地震を避けて逃げたように逃げることになるでしょう。そして、すべての聖徒と御使いと共に、私の神、主が来ます。
イエスはお答えになりました。「メシヤ(救い主)のわたしが、やがて、御国の栄光の王座につく時、あなたがたも十二の王座について、イスラエルの十二の部族をさばくことになるのです。
御国でわたしの食卓に着き、共に食事をする特権、また王座に座って、イスラエルの十二の部族をさばく特権です。
知らないのですか。自分の主人は自分で選べるのです。死に至る罪を選ぶこともできれば、義(正しさ)に至る従順を選ぶこともできます。だれかに自分をささげれば、その相手があなたがたの主人となり、あなたがたは奴隷となるのです。
こうした知者、学者、この世の論客たちについては、何と言われているでしょう。神様は、彼らを愚か者とし、彼らの知恵など無用の長物としました。
この世がいかに人間のすぐれた知恵を結集しても神を見いだせないのは、神のお考えによることです。そして神様は、愚かで話にならないような神のことばを信じる人を、救うことにされたのです。
それなのになぜ、教会外の、クリスチャンでもない裁判官のもとへ出向くのですか。
ですから私たちは、いま見えるもの、すなわち身の回りの苦しみには目をとめません。むしろ、今は見えない天にある喜びを望み見ているのです。苦しみは、やがて消え去ります。しかし、その喜びは永遠に続くのです。
そして、どうか父なる神が、あなたがたの心を強くし、きよめて、主イエスがご自分に属する人々と再び来られる時、御前で、あなたがたを責めるところのない聖なる者としてくださいますように。
それから私は、数多くの王座を見ました。そこには、さばく権威を神から授けられた人々が座っていました。私はまた、イエスについて証言し、神のことばを伝えたために首をはねられた人々のたましいと、獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった人々のたましいとを見ました。その人々はみな生き返って、キリストと共に千年間、世界を支配しました。
勝利を得る者を、わたしと共に王座につかせましょう。ちょうど、わたしが勝利を得た時、父から、王座に共に座ることを許されたように。