このように書いたのは、あなたがたに恥をかかせるためではありません。愛する子どもとして戒め、さとすためです。
もしあなたが警告し、彼が悔い改めるなら、二人とも自分のいのちを救うことになる。」
だから、よく見張っていなさい。私といっしょに過ごした三年間を忘れてはいけません。昼も夜も目を離さず、あなたがたのために流してきた私の涙を思い出してください。
目を覚まして、罪を犯すのをやめなさい。あなたがたが恥じ入るためにあえて言いますが、あなたがたの中には、神について実際には何も知らない人がいます。
たとえ、キリストについて教えてくれる人が一万人いたとしても、あなたがたの父はこの私だけであることを忘れないでください。福音を伝えてキリストの救いに導いたのは、この私一人なのですから。
その点であなたがたの助けになればと思い、テモテを遣わします。彼は、私がキリストに導いた一人で、主にあって愛し、信頼できる息子だからです。彼は、私自身が実践している信仰者の生き方を、私が行く先々の教会で教えているとおりに、あなたがたに思い出させてくれるでしょう。
あえてあなたがたに恥をかかせようと、私はこう言うのです。いったい教会には、こうした争いを解決できる賢明な人が一人もいないのですか。
けれども、私はあなたがたにわずかなお金も要求したことはありません。今からでもそうしてほしいと、ほのめかしているのでもありません。実際、無報酬で主のために働くという誇りを失うくらいなら、私は飢え死にしたほうがましです。
なぜそうするのでしょう。あなたがたを愛していないからだとでも? とんでもない。どれほど愛しているか、神様がご存じです。
よく思われたいばかりに、こう書くのだと思いますか。でもそれは、全く見当違いです。神様の前で宣言しておきます。愛する皆さん。私がこう書いてきたのは、あなたがたを助けるため、その信仰を成長させるためであって、自分のためではありません。
あなたがたをしかったり、責めたりするためにこう言うのではありません。前にも言ったように、私はいつも心の中であなたがたのことを思い、生も死も共にしているのです。
ですから、私たちはどこへ行っても、耳を傾けるすべての人にキリストを伝え、できるかぎりの手を尽くして、あらゆる人をさとし、教えています。そして、彼ら一人一人を、完全な者として神の前に立たせることができるようにと願っています。
父親が子どもをさとすように一人一人に勧め、また、励ましてきました。それを忘れてはいないでしょう。
愛する皆さん。なまけ者や手に負えない乱暴者には、きびしく注意しなさい。臆病な人を励まし、弱い人を思いやりなさい。そして、だれに対しても忍耐の心を持ちなさい。
もし、この手紙に書いた指示に聞き従わない者がいれば、そのような人には特に注意し、交際しないようにしなさい。自らそのことに気づいて恥じ入らせるためです。
どうか、私が獄中で神に導いたオネシモを、愛の心でやさしく迎えてやってください。私はオネシモを、わが子のように思っているのです。
私の子どもたちよ。私がこう言うのも、あなたがたにいつも罪から離れていてほしいからです。しかし、もし罪を犯したとしても、父なる神の前で弁護してくださるイエス・キリストがおられます。キリストはすべての点で正しく、神のお心に完全にかなった方です。
私の子どもたちのことで、こんな知らせを聞くことほど、大きな喜びはありません。