この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。
自分の顧問であったアヒトフェルが、事もあろうにアブシャロムに加担している、という情報を得た時、ダビデは、「主よ。どうか、アヒトフェルがアブシャロムに愚かな助言をするよう導いてください」と祈りました。
アブシャロムは、かつてダビデがそうしたように、アヒトフェルのことばには何でも従いました。アヒトフェルが語ることはすべて、神の口から直接授けられた知恵のように思われたからです。
アブシャロムをはじめイスラエル人はみな、「フシャイの意見のほうが、アヒトフェルの考えよりすぐれている」と思いました。実は、これはみな、アブシャロムを痛めつけようという、主の意図によるものでした。実際には、退けられたアヒトフェルの進言のほうが、ずっと上策だったのです。
一方アヒトフェルは、アブシャロムに進言を退けられたことで、すっかり面目を失い、ろばに乗って郷里へ帰ってしまいました。そして身辺の整理をすると、首をくくって自殺し、彼の父の墓に葬られました。
こうしてハマンは処刑されたのです。それでようやく王の憤りもおさまりました。
彼らは知恵をこらして計画を練り、 そのわなに自分でかかる。
その罠には彼ら自身がかかり、 私は難を免れることができますように。
何とか彼らの勢力を食い止めなければならない。戦争にでもなり、彼らが敵方についたら大変だ。われわれに戦いを挑み、難なくこの国から逃げてしまうだろう。」
われわれの信じる主のように偉大な方は、ほかにいない。今度こそ、それがよくわかったよ。あの傲慢で残忍なエジプト人から、ご自分の民を救い出されたのだから。」
知恵のある人は先を見越し、 愚か者は自分をごまかして事実を直視しません。
どんなに賢明な人でも、 どんなに良い教育を受けた人でも、 主と対等にやり合うことなどできません。
わたしは、偽預言者の予想をくつがえし、 彼らが大うそつきであることを証明する。 知恵ある者に見当違いの助言をさせ、 愚か者にする。
とはいえ、成長したクリスチャンの間では、私はすぐれた知恵のことばを語ります。しかしそれは、この地上の知恵ではなく、また滅ぶべき運命にある、この世の支配者の気に入る知恵でもありません。
これまで私は、アポロと自分を例にあげて説明してきました。ある人だけを特別扱いしてはならないことを教えたかったのです。神様がお立てになった教師の一人を、他の教師以上に誇ってはなりません。
そこで、もはや、だれかから間違ったことを教えられたり、うそを真実のようにたくみに見せかけられたりしても、そのたびに、子どものようにふらふらと信じるものを変えてはいけません。
ねたみや敵対心は、神からの知恵ではなく、この世のものであり、真理に逆らう悪霊から来るものです。