さらには、五百人以上のクリスチャンにも姿をお見せになったのです。その中の何人かはもう死にましたが、大部分は今も健在です。
イエスは言われました。「こわがらなくてもいいのです。行って、わたしの兄弟たちに、すぐガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」
さあ、行って、ペテロやほかの弟子たちに、『イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前もって言われたとおり、そこでお会いできるのです』と知らせてあげなさい。」
これは、ダビデのことではありません。ダビデは神の意思に忠実に仕える人生を送り、死んで葬られ、その体は朽ち果てたのです。
そして、ひざまずき、「主よ。どうぞこの罪の責任を、この人たちに負わせないでください!」と大声で叫んだかと思うと、ついに息絶えました。
また、すでに死んだクリスチャンは、みな滅んでしまったことになります。
しかし、事実、キリストは死者の中から復活しました。そして、復活が約束されているすべての人の初穂(その年の収穫の最初の束)となられたのです。
それから、皆さん。クリスチャンが死んだらどうなるか、よく知っておいてほしいのです。悲しみのあまり取り乱して、何の希望もない人たちと同じようにならないためです。
私は主から直接聞いたとおりを伝えるのですが、主が再び来られる時、私たちがまだ生きていたとしても、すでに墓の中にいる人たちをさしおいて主にお会いすることは、断じてありません。
彼らはこんなことを言う議論のベテランです。「キリストがまた帰って来るという約束はどうなったのか。この世界は造られた最初の日から何も変わらないではないか。イエスが帰って来るなどということはありえない。」