目を覚まして、罪を犯すのをやめなさい。あなたがたが恥じ入るためにあえて言いますが、あなたがたの中には、神について実際には何も知らない人がいます。
私はおことばを深く味わい、心にたくわえました。 それによって罪から遠ざかるためです。
恐れかしこんで、主の前に立ちなさい。 主に対して罪を犯してはいけません。 寝床で、静かに思い巡らしなさい。
「彼らは舌を弓のように曲げ、不真実という矢を射る。 正しいことには縁もゆかりもない者で、 悪から悪へと進み、わたしのことなど いっこう心に留めない」と、主は言います。
酔いどれどもよ、起きて泣け。 ぶどうがすべて荒らされ、 ぶどう酒がなくなったからだ。
それで船長は船底に下りて行って、大声でどなりました。「おい! どういうつもりだ、こんな時に眠っているのは。さっさと起きて、あなたの神に祈ったらどうだ。そうすれば、お恵みで助けてもらえるかもしれないぞ。」
しかし、イエスは言われました。「あなたがたは聖書も神の力もわかっていません。思い違いをしています。
しばらくして、イエスは宮でその男を見つけ、声をおかけになりました。「どうですか、すっかりよくなったでしょう。もう前のように罪を犯してはいけませんよ。そうでないと、もっとひどい目に会うかもしれませんから。」
「はい、先生。」「そうですか。わたしもあなたを罰しません。さあ、行きなさい。もう二度と罪を犯してはいけませんよ。」
死者の復活を信じることが犯罪でしょうか。神が人間を復活させることは、そんなに信じがたいことでしょうか。
このように彼らが神を認めようともしなかったので、神は、してはならないことを彼らが行うのをそのままにしておかれました。
正しい生活をしなければならない、もう一つの理由があります。それは、今や終末に近づいており、時はどんどん過ぎているからです。目を覚ましなさい。初めに信じたころより、今はいっそう主の来られる時が近いのです。
このように書いたのは、あなたがたに恥をかかせるためではありません。愛する子どもとして戒め、さとすためです。
あえてあなたがたに恥をかかせようと、私はこう言うのです。いったい教会には、こうした争いを解決できる賢明な人が一人もいないのですか。
けれども、クリスチャンの中には、このことがわかっていない人もいます。そういう人はこれまでずっと、偶像を生きているもののように考えてきたので、ただの偶像に供えられたにすぎない物を、あたかも実在する神々に供えたかのように思ってしまうのです。そのため、それを食べることがひどく気になり、傷つきやすい良心が痛むのです。
だから、聖書にこう言われているのです。 「眠っている者よ。目を覚ませ。 死者の中から起き上がれ。 そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」(イザヤ26・19)
神を知らない異教徒のように、情欲におぼれてはいけません。