キリストはあらゆる敵との戦いに勝利を収めると、神の子として、ご自分を父なる神の支配におゆだねになります。それは、子にすべてを征服する力をお授けになった神様が、最高の存在となられるためです。
戦いに臨んで、 頑丈なよろいを着せていただいたおかげです。 敵は私を見ておじけづき、足もとに倒れ伏します。
神は私に害を加える者に報復し、 目の前の国々を制圧してくださいます。
『わたしは去って行くが、また戻って来る』と言ったことを思い出しなさい。ほんとうにわたしを愛しているなら、今わたしが父のもとに行けるのを、心から喜んでくれるはずです。父はわたしよりも偉大だからです。
しかし、知っておいてほしいことが一つあります。それは、妻は夫に責任があり、夫はキリストに責任があり、キリストは神に責任がある、ということです。
神様は私たちの生活の中で、いろいろな方法で働きかけてくださいます。しかし、神のものとされた私たちの中で、また私たちを通してお働きになるのは、ただひとりの神です。
もし死者の復活がないのなら、死んだ人のためにバプテスマ(洗礼)を受けることには何の意味があるのですか。将来の死者の復活を信じてもいないのに、どうしてそんなことをするのでしょう。
そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。
ですから教会は、キリストの体であって、すべてを造り、すべてを満たすキリストの霊が満ちあふれるところです。
その時、キリストは、あらゆるものを従わせることのできる超自然的な力で、私たちの死ぬべき体を、ご自身と同じ栄光の体に変えてくださるのです。
そこでは、国籍、人種、教育、社会的地位の違いなどは全く問題ではありません。大切なのは、キリストをしっかりつかんでいるかどうかです。そして、キリストを自分のものにする機会は、だれにも平等に与えられているのです。