もしクリスチャンであることが、この世の生活でしか価値がないのなら、私たちほどみじめな者はありません。
しゃべればしゃべるだけ、口にすることばの意味が薄れてきます。だから、全然しゃべらないほうがましなのです。
短い一生の間、愛する女性と幸福に過ごしなさい。神が下さった妻は、地上での労苦に対する最大の報酬だからです。
その時、あなたがたは苦しめられ、殺されることもあるでしょう。また、わたしの弟子だというだけで、世界中の人から憎まれるでしょう。
気をつけなさい。わたしは不意に来ます。その時になって、あわてふためかないようにしなさい。遊び騒いだり、酒におぼれたり、この世の心配事のために駆けずり回ったりしている姿を見られないようにしなさい。
いばらの中の種とは、聞いて信じても、その後、いろいろな心配事や金銭欲、また人生のさまざまな重荷や快楽などに、信仰を妨げられてしまう人のことです。これでは、せっかく教えを聞いても、実を結びません。
会堂から追放され、いのちまでつけねらわれる身になることを覚悟しなさい。事実、あなたがたを殺すことで神への奉仕を果たすのだと、人々がとんでもない思い違いをする時が来ます。
あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
それぞれの町でクリスチャンたちに会い、ますます神を愛し、また互いに愛し合うように教え、どんな迫害にもくじけず、信仰にとどまり続けるようにと励ましました。そして、「神の国に入るには、いろいろ苦しい目に会わなければならない」と語りました。
そしていつも忘れずに、あなたがたの愛の労苦と信仰、それに主イエス・キリストを熱心に待ち望む姿を、父なる神の御前に思い起こしています。
そのために、私はいま獄中で苦しんでいます。しかし、それを恥とは思いません。なぜなら、私は自分が信頼している方をよく知っており、またその方は、私がお任せしたものをみな、再び来られるその日まで安全に守ってくださると確信しているからです。
キリストの兵士となった以上、この世のさまざまな事に心を奪われていてはなりません。そんなことでは、キリストの兵の一員にしてくださった方を悲しませるだけです。
確かに、キリスト・イエスの教えにそって、神を敬う生活を送ろうとする人はみな、敵対する者から苦しめられ、迫害されます。
ですから、キリストを死から復活させ、栄光をお与えになった神を信じましょう。あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。
また私は、頭上で、次のように語る天からの声を聞きました。「さあ、書き記しなさい。『主のために殉教した人々が、その報酬を受ける時がついに来たのです。』」聖霊は言われます。「そのとおり。彼らには十分な祝福が注がれる。今こそ、彼らはいっさいの労苦と試みから解放されて休む時なのだ。その良い行いが、彼らといっしょに天まで立ちのぼるのだから。」