決して不正を喜ばず、いつも真理を喜びます。
彼らは、汚れた欲望を自慢し、 主をののしり、 主に忌みきらわれる者どもと意気投合しています。 彼らにとっては、金銭だけが人生の目的なのです。
あなたのおきてが平気で破られる現状に、 私は涙をこぼしています。
イテロは、主がイスラエル人を心にかけ、エジプトから助け出してくださったことをたいへん喜びました。
神の教えに背く者たちは過ちを犯し、 神を恐れる者たちは人を思いやります。
それでもなお、耳をふさぐのですか。 もしそうなら、私は心を痛め、 思い上がったあなたがたのために、 一人で嘆き悲しみましょう。 主の民が奴隷になって連れ去られるのです。 とても泣かずにはいられません。
そのうえ、四方八方から脅す声が聞こえるので、 私はおじけづきます。 「彼を訴えてやろう」と、彼らは言います。 かつての友人でさえ、 私がつまずき倒れるのを待っています。 「きっと彼は、自分でしかけた罠に落ちる。 そうしたら、うんと仕返ししてやろう」と てぐすね引いて待っているのです。
ああ、私の目が涙の泉であったら、 殺された同胞のために、 昼となく夜となく、永久にすすり泣くことだろう。
祭司は民の罪を喜び、それをむさぼり食い、 もっと欲しいと舌なめずりする。
王は彼らの悪事を喜び、 君主たちは彼らのうそに笑い転げる。
敵よ、私のことで喜ぶな。 私は倒れても、また起き上がるからだ。 たとえ暗闇の中に座っていても、 主が私の光となる。
そして、もし見つけようものなら、何ともなかったほかの九十九匹以上に、この一匹のために大喜びします。
彼らは大喜びし、ユダに報酬を与える約束をしました。
そのような罪を犯せば、神から死の刑罰を受けなければならないことをよく知った上で、自分でそれを行うだけでなく、他の人まで引きずり込んでいるのです。
見せかけだけで人を愛してはいけません。真心から愛しなさい。悪いことを憎み、良いことには賛成しなさい。
しかし、どのような動機からであれ、キリストが宣べ伝えられているのは事実であり、私は喜んでいます。
そして、私の心は喜びに満たされるのです。
というのは、今までも、しばしば語ってきたことですし、今また、涙ながらに訴えたいのですが、クリスチャンとして歩みながら、実はキリストの十字架に敵対している者が多くいるからです。
真理を信じないで、罪を犯すことを楽しんでいた彼らに、さばきが下るのは当然です。
あなたの子どもたちの中に、真理に従って歩み、神の命令どおりに正しく生活している者がいるのを知って、非常にうれしく思っています。