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相互参照
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コリント人への第一の手紙 13:12

リビングバイブル

同様に、今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。しかし、やがていつかは、面と向かって神の完全な姿を見るのです。いま私が知っていることは、おぼろげで、ぼんやりしています。しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同じように、すべてがはっきりわかるでしょう。

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20 相互参照  

ヤコブはそこをペヌエル〔「神の顔」の意〕と名づけました。彼が、「神様と直接お会いしたのに、死なずにすんだ」と言ったからです。

この肉体が朽ち果てたのち、 私は新しい肉体で神を見る。

神はあまりにも大きいので、 神を知る手がかりさえつかめない。 永遠というものを理解できる者はだれもいない。

天幕の中では、まるで親しい友のように、主はモーセに語りました。そのあと、モーセが野営地に帰ると、彼の従者であるヌンの子ヨシュアはそのまま天幕に残りました。

「人の子よ、このなぞをイスラエルの民に示せ。

この小さい子どもたちの一人でも、見下げたりしないように気をつけなさい。言っておきますが、天国では、子どもたちを守る天使が、いつでもわたしの父のそば近くにいるのです。

心のきよい人は幸いです。そういう人は親しく神とお会いできるからです。

わたしの父がわたしを知っておられ、わたしも父を知っているのと同じです。わたしは羊のためにいのちを捨てるのです。

けれども、私たちがいま味わっている苦しみは、後に私たちが受ける栄光に比べたら、取るに足りないものです。

それは、こんなことから説明できるでしょう。子どもの時の私は子どものように話し、子どものように考え、子どものように判断していました。しかし、大人になると考え方も成長し、今では子どもっぽいこととは縁を切りました。

しかし、ほんとうに神を愛している人は、神に知られているのです。

私たちには顔の覆いがありません。鏡のように、主の栄光をはっきり映すことができます。そして、主の御霊が私たちのうちで働いてくださるにつれ、私たちはますます主に似た者にされていくのです。

実際に見ることによってではなく、信じることによって、これを事実と認めているのです。

なにも、自分が完全な人間だと主張するつもりはありません。学ぶべきことも、まだたくさん残っています。ただ、キリストが何のために私を救ってくださったかを知り、自分に与えられている目標に到達する日を目指して、努力しているのです。

聞いただけで実行に移さない人は、鏡に映る自分の顔をながめているようなものです。

愛する人たち。私たちは、もうすでに神の子どもなのです。これから先のことは想像もつきませんが、ただこの一事だけはわかっています。つまり、キリストが再び来られる時、私たちはキリストに似た者となるということです。その時、キリストのありのままの姿を見るからです。

彼らは、神と顔を合わせることができます。またその額には、神の名が書き込まれています。




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