考えてもごらんなさい。もし体全体が目であれば、聞くことができるでしょうか。もし体全体が巨大な一つの耳なら、においをかげるでしょうか。
耳と目をお造りになった神が、 耳が聞こえず、目が見えないということがあろうか。
目が見え、耳が聞こえるなら、 目と耳を与えてくれた神に感謝しなさい。
また、もし耳が、「私は耳で、目ではないから、体の一部ではない」などと言っても、耳が体から離れることができますか。
神様は、私たちの体をそのように造られたのではありません。体を形成するために多くの部分を造り、配置されました。
目が手に、「私には、あなたなんか必要じゃない」などとは決して言えません。また、頭が足に、「あなたなんかいらない」とも言えません。
みなが使徒でしょうか。みなが説教者でしょうか。みなが教師でしょうか。もちろん違います。みなが奇跡を行うでしょうか。
「よし、そうしよう。」 話がまとまり、二人は預言者の住む町へ向かいました。町へ通じる坂道を上ると、水くみに来た若い娘たちに出会いました。そこで、「この町に先見者がおられますか」と尋ねました。当時、預言者は先見者と呼ばれていたのです。