自分たちの食事をするためのものになっています。ほかの人と分け合おうと待っている人など一人もいず、われ先に食べているそうではありませんか。そのため、十分食べられずにお腹をすかしている者もいれば、浴びるほど飲んで酔っぱらっている者もいるということです。
言いました。「これは極上のぶどう酒じゃないですか。あなたはすばらしい方だ。たいていどこの家でも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわって味がわからなくなると、安物でごまかすものです。ところがあなたは、一番上等なものを、最後まで取っておかれたのですから。」
あなたがたの集まりは、主の晩餐のためではなく、
ほんとうに空腹な人は、家で食べなさい。それは、いっしょに集まりながら、自分の身に罰を受けないためです。そのほかのことは、そちらに行ってから話しましょう。
それが、偽教師を待つ運命です。彼らは、昼間から飲んだり騒いだりし、享楽にふけっています。彼らはしみや傷のようなもので、あなたがたの間では不名誉な面汚しです。
こういう者たちが、教会での愛の会食に加われば大きな汚点を残します。彼らは、他人のことなどおかまいなしに大声で笑ったり、ふざけたりしながら、むさぼり食うのです。まるで、からからに乾ききった大地の上を、一滴の雨も降らせずに通り過ぎる雲のようです。大いに期待させるだけで、何の役にも立ちません。また、彼らは収穫の時期になっても、実一つつけない木に似ています。その状態はただの死ではなく、二重の死を意味します。彼らは根こそぎ引き抜かれて、焼かれるしかないのですから。