ほんとうに最善を尽くしているかどうか、もう一度、自分を点検しなさい。そうすれば、ほかの人と比較することもなくなるでしょう。
そのため神に殺されるなら、それでもいい。 たとえ殺されても、私はやめない。
きびしく調べて、お確かめください。 ああ主よ、動機も愛情も探ってください。
信仰をなくした人は自分に嫌気がさしますが、 神を恐れる人の生活には活気があります。
パリサイ人は心の中で祈りました。『神様。ありがとうございます。私はほかの人々、特に、ここにいる取税人のような罪人ではありません。人をだましたこともなければ、姦淫したこともありません。
したがって、聖餐に臨む前に、めいめいが注意深く、自分を省みなければなりません。
そして、その土台の上に適切な材料を使って建てた人は、建物がちゃんと残るので報いがあります。
アポロも私も、同じ目標を目指して働いていますが、それぞれ、その労苦に従って報酬を受けるでしょう。
私たちは、どんな場合でも、自分の知恵に頼らず、助けてくださる主に信頼し、きよさと誠実さをもって行動してきました。特にあなたがたに対しては、そのようにふるまってきました。胸を張ってそう言うことができます。
よくよく自分を吟味しなさい。ほんとうにクリスチャンだと言えますか。クリスチャンとしてのテストに合格していますか。自分の内に住まれるキリストと、そのあふれる力とを、いよいよ強く実感していますか。
そうした、割礼を主張する教師たちは、割礼以外の律法は守ろうとしません。それなのに、あなたがたに割礼を強要するのは、弟子をふやして誇るためなのです。
私が生き延びて、もう一度そちらに行った時、あなたがたのうちに喜びがわき上がり、私を無事に守ってくださったイエス・キリストを心から賛美するようになることでしょう。