互いの悩み、苦しみを共に負い、キリストの命令に従いなさい。
ヨアブはアブシャイに言いました。「もし、シリヤが強くて私の手に余るようだったら助けに来てくれ。もし、アモン人が強くておまえの手に余るようなら助けに行こう。
もしあなたの敵のろばが重荷に押しつぶされてうめいていたら、そのまま見過ごしにしてはならない。力を貸してろばを立たせてやりなさい。
わたしの喜ぶ断食とは、労働者を虐げるのをやめ、 公平な扱いをし、 彼らに正当な支払いをすることではないか。
こうして、イエスについてイザヤが、「彼は、私たちの痛みを身に引き受け、私たちの病を負った」(イザヤ53・4)と預言したとおりになったのです。
イエスは言われました。「そんなことはありません。律法の専門家たち。あなたがたにも恐ろしいさばきが待ち受けているのです。とうてい実行できない命令を与えて、人々を押しつぶしておきながら、自分は守ろうともしないのですから。
そこで今、新しい戒めを与えましょう。わたしがあなたがたを愛するように、互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。これがわたしの教えです。
何かをする場合、ただ自分の喜びのためにするのはよくありません。それは悪いことではないかと疑問や不安を持つ人を思いやり、そういう弱さを持つ人々の「重荷」を軽くしてあげなさい。そして、人の益になることをし、その人が主にあって成長できるよう支えましょう。
なぜなら、いのちを与える御霊の力が、罪と死の悪循環から解放してくれたからです。
異教徒といっしょにいる時は、できるだけ、彼らに合わせるようにしています。もちろん、クリスチャンとしての正しさだけは失わないように気をつけますが。こうして、彼らに合わせることによって、その信頼を得、彼らをも助けることができるのです。
人はみな、それぞれ自分の分をわきまえ、自分の分を果たすべきです。
こんなに大ぜいでは、もめごとや問題もたくさん起こるだろう。とても一人ではさばききれない。
愛する皆さん。なまけ者や手に負えない乱暴者には、きびしく注意しなさい。臆病な人を励まし、弱い人を思いやりなさい。そして、だれに対しても忍耐の心を持ちなさい。
しかし、〔完全な律法、自由の律法である〕神の教えを一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れたりしないばかりか、その命令を実行します。神は、そのような人の行いに大きな祝福を与えてくださいます。
あなたがたは、キリストの命令を守る者にふさわしく語り、行動しなさい。
あなたがたがほんとうに、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ19・18)という最高の律法を守っているならりっぱなことです。
キリストは、私たちの罪をその身に負って、十字架上で死んでくださいました。そのおかげで、私たちは罪から離れ、正しい生活を始めることができたのです。キリストが傷つくことによって、私たちの傷はいやされました。
キリストを知ったあとで聖なる戒めにそむくくらいなら、キリストについて何も知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。
ですから神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。これは、神が命じておられることです。