皆さんは、信仰の道を順調に走っていました。それを妨害したのはだれですか。真理に逆らわせたのはだれですか。
ところが、その人の心は深みがないので、このすばらしい教えも深く根をおろすことができません。ですから、しばらくして信仰上の問題が起こったり、迫害が始まったりすると、熱がさめ、いとも簡単に離れて行ってしまうのです。
こうして、神のことばはますます広まり、エルサレムでは、弟子の数が驚くほど増えていきました。ユダヤ教の祭司たちの中からも、信仰に入る者が数多く出ました。
しかし、福音(キリストによる救いの知らせ)を耳にした人がみな、喜んで受け入れたわけではありません。預言者イザヤが、「主よ。彼らに語った時、だれが私のことばを信じましたか」(イザヤ53・1)と言っているとおりです。
私は、ただ外国人を神に導くために、キリストが私を役立ててくださったということだけを話します。他のことについて、何も言うつもりはありません。私は、ことばと活動、
けれども、神の真理に逆らい、不正な道を歩む人には、恐ろしい罰が下ります。神の怒りは、そのような人々に注がれるのです。
神に感謝すべきことに、あなたがたは、以前は罪の奴隷になる生き方を選んでいましたが、
競走をするとき、優勝者は一人だけです。ですからあなたがたも、優勝するために走りなさい。
この武器は、神に逆らうあらゆる高慢な議論と、人々の目から神を隠している、あらゆる壁を打ち砕きます。この武器を用いて私は、反抗する者を捕虜として神に連れ戻し、回心させて、キリストに従わせます。
このエルサレム行きは、神からの明確な指示に基づいたもので、私が外国人に伝えているキリストの福音について、エルサレムのクリスチャンと話し合うのが目的でした。私は、教会の指導者たちと個人的に話し合いました。それは、私の教えてきた内容を正しく理解してもらい、また、その正当性を認めてもらうためでした。
ああ、ガラテヤの皆さん。なんと物わかりが悪いのでしょう。いったいどんな魔術師にだまされて、魔法にかけられたのですか。私は、十字架上で死なれたキリストの姿を、絵のようにありありと目の前に示して、その死の意味をはっきりと教えたではありませんか。
主はこの点について、あなたがたを私と同じ信仰に立ち返らせてくださるものと確信しています。人を惑わし、かき乱す者には、だれであろうと、神のさばきが下るのです。
その時、神に目もくれなかった者や、主イエス・キリストによる神の救いの計画を拒んだ者には、恐るべきさばきが下ります。
アブラハムも、神を信じました。神に、生まれ故郷を離れて新しく与える地に向かうようにと指示された時、彼はそのことばに従い、行く先も知らずに出て行ったのです。
このように、数えきれないほどの多くの証人たちが、競技場の観覧席で私たちを見つめているのです。だから、うしろへ引き戻そうとする力や、まとわりつく罪をふり捨てて、神の用意された競走を忍耐をもって走り抜こうではありませんか。
この経験を通してご自分の完全さを実証し、その上で、ご自分に従うすべての人に永遠の救いを与える者となられたのです。
キリストを信じたあなたがたは、たましいをきよめられ、だれをも真実に愛することができるのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。