私たちの生まれながらの性質は、聖霊がお命じになることとは正反対の悪を好みます。一方、聖霊の導きに従って歩んでいる時に行いたくなる善は、生まれながらの肉の願望とは正反対のものです。内面のこの二つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘しています。そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのです。
その有様を見て、主は言いました。「わたしの霊が人間のために汚されるのを放っておけない。人間はすっかり悪に染まっている。反省して、正しい道に戻れるように百二十年の猶予を与えよう。(別訳・それで人の齢は百二十年としよう。)」
悪に打ち負かされることのないように、 どうか、そのおことばで導いてください。
主よ、私があなたの戒めをどんなに愛しているか、 わかってください。 どうか、あふれる恵みで、 私を生かしてください。
羊のようにあてどもなくさまよう私を 捜し出してください。 私は、ご命令に背いたりしませんでしたから。
私はあなたの教えを、 どれほど切望していることでしょう。
あなたのお心に従いたいと思うように助けてください。 そうすれば私は、あなたのおきてに さらに情熱を傾けることができるでしょう。
私に正しい道を歩ませてください。 私は、それがどれほど喜ばしいことか、 よく知っているのです。
私はあなたのおきてを守りたいと、 ひたすら願っています。 どうぞ私を生かしてください。
主がいつまでも私たちの罪を 心に留められるとしたら、 この祈りも聞いてはいただけないでしょう。 しかし、恐れ多いことですが、 あなたは赦してくださるお方です。
たとえ私の心が罪に占領されていようと、 あなたはすべての罪を赦してくださいます。
この世界には、いつも品行方正で一度も罪を犯さない人など一人もいません。
私は恐ろしくなって、思わず叫びました。 「もうおしまいだ。 口の汚れた罪深い民に属する口の汚れた私が、 天の軍勢の主である王を見てしまったのだから。」
わたしに味方しない者はみな、わたしの敵なのです。
「ヨナの息子シモンよ。神があなたを祝福してくださったのです。それを明らかにしたのは、人ではなく、天におられるわたしの父です。
しかし、イエスはふり向いて、「サタンよ。下がれ。そのようなことを言って、わたしをわなにかける気ですか。あなたは人間的な見方をして、神の見方を忘れている」とおしかりになりました。
油断しないで、いつも祈っていなさい。さもないと誘惑に負けてしまいます。あなたがたの心は燃えていても、肉体はとても弱いのですから。」
神の前に、正しく良い者になりたいと心から願っている人は幸いです。そういう人の願いは完全にかなえられるからです。
するとシモンは言いました。「主よ、何をおっしゃるのです。牢獄までもついてまいります。ごいっしょに死ぬ覚悟もできております。」
「どうして眠っているのですか。さあ、起きなさい。誘惑に負けないように、祈っていなさい。」
人間からは人間のいのちが生まれるだけです。けれども御霊は、天からの、全く新しいいのちを下さるのです。
もし古い性質に従い続けるなら、道に迷い、やがて滅びるしかありません。しかし、もし御霊の力によってそれを打ち砕くなら、あなたがたは生きるのです。
だとすると、神の律法と約束とは、互いに対立するのでしょうか。そんなことはありません。もし私たちが律法によって救われることができたのであれば、それで事はすんだはずです。罪の力から逃れるための、別の道が開かれる必要などなかったのです。
また、ことばを制御できる人は、すべての点で自分を完全に制することができる人です。