愛する皆さん。日常生活で人間同士が約束をかわす場合でも、文書にして署名したら、もう変更はできません。あとになって、約束を破ることはできないのです。
主はアブラハムと契約を結び、 イサクに誓いを立て、
この祈り会は数日間続きました。ある日、百二十人ほどが集まっていた時、ペテロが立ち上がり、次のように提案しました。
愛する皆さん。私がこれまでに何度も、あなたがたのところへ行こうとしたことをぜひ知っていただきたいのです。ほかの国の諸教会と同じように、あなたがたのところでも成果を得たいと思ったのです。しかし、その計画は妨げられてきました。
ところが、こんなふうに主張する人がいます。「でも、私たちの神に対する不忠実は、むしろよかったのではないか。人々は、私たちがどんなに悪い人間であるかを見て、神がどんなに正しい方であるかに気づくだろうから。」すると、彼らの罪が神の役に立っているのに、罰せられるのは不公平だということになるのでしょうか。
このように奴隷と主人にたとえてわかりやすく言うのですが、あなたがたはかつて、あらゆる罪の奴隷でしたが、今は、あらゆる正しいこと、きよいことに仕える奴隷とならなければなりません。
もし私が、この地上の生涯のためにエペソでの苦難と戦ったのだとしたら、どれだけの価値があったでしょう。死後の復活などありえないのなら、「どうせ明日は死ぬ身だ。大いに飲み食いして、愉快に過ごそう」ということになります。
どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にありますように。アーメン。 パウロ
アブラハムに与えられた約束を覚えていますか。神は、自分以上にすぐれた存在はありえないので、ご自分の名を指して誓われました。
人は何かを約束する時、それを必ず実行する意志と、万一破った時にはどんな罰をも受ける覚悟を示すために、自分よりもすぐれた者の名にかけて誓います。いったん誓ってしまえば、もうだれも、何も言うことはできません。
遺言は、被相続人の死後、初めて有効になるのです。その人が生きている間は、いくらそれが自分に関するものでも、どうすることもできません。