彼らは、それを承認してくれました。そればかりでなく、ギリシヤ人であった、私の仲間のテトスにも割礼(男子の性器の包皮を切り取る儀式)を強要しませんでした。
こちらから行った何人かのクリスチャンが、いろいろなことを言って皆様をまどわせ、救いにまで疑問をいだかせたことを、確かに聞きました。しかし、誤解なさらないでください。私たちがそのような指示を与えたわけではありません。
パウロは、ぜひ自分たちの伝道旅行に加わるように勧めました。テモテの父親がギリシヤ人であることはだれもが知っていたので、この地方のユダヤ人の手前、出発前に彼に割礼を受けさせました。
ところがそこでは、信仰の友である、愛するテトスに会えなかったので、彼がどこにいるのか、その身に何か起こったのではないかと気がかりでなりませんでした。そんなわけで、何とかしてテトスに会おうと、人々に別れを告げ、まっすぐマケドニヤに向かったのです。
それから十四年たって、私はもう一度、エルサレムに上りました。その時はバルナバもいっしょで、テトスも同行させました。
デマスはこの世の楽しみに心を奪われ、私を捨て、テサロニケに行ってしまいました。クレスケンスはガラテヤへ、テトスはダルマテヤへ出かけ、私のもとに残ったのはルカだけです。こちらへは、マルコも連れて来てください。彼に頼みたいことがあるのです。