彼らは平気でうそをつきました。 「神がわれわれに手を出すはずはない。 災いが降りかかるはずはない。 ききんも戦争もあるものか。
しかし、人々は神から遣わされた使者をばかにし、警告を無視し、預言者たちをさんざん侮辱しました。もはやこれ以上、主の怒りをとどめることができない、回復できない状態に陥りました。
「神も人も大した相手ではない」と 彼らはうそぶきます。 そしてどういうわけか、道を切り開いていくのです。
心の中で「神などいない」と言う者は愚かです。 彼の心は腐っており、 正しい人であるはずがありません。
ぜいたくに慣れすぎて主を忘れたり、 貧しさのあまり盗みを働いて 神の名を汚したりしたくないのです。
どこの国の神が、 私たちのために雨を降らせるでしょう。 私たちの神以外に、 そんなことのできる神はいません。 ですから私たちは、 あなたが助けてくださるのを待っています。
彼らは、自分たちをエジプトから無事に連れ出し、 だれも足を踏み入れたことのない、 乾ききった死の地である荒野を導き通したのが、 主であるわたしであったことに、 目をふさいでいる。
また、エホヤキムの子でユダ王国のエコヌヤ王と、バビロンに移された捕虜全員を連れ戻す。わたしは必ず、バビロン王がおまえたちの首にかけたくびきをはずす。』」
そこで、私は申し上げました。 「ですが神よ。 民は、あなたのおことばにだまされました。 確か、エルサレムに大きな祝福がくるとの お約束だったのに、 今になっても剣が住民に突きつけられています。」
エレミヤが、神のことばをすべての人に語り終えた時、
祭司はまやかしの預言者の意のままになり、 民は、そうなることを喜んでいる。 おまえたちは必ず滅びる。 その時はどうするつもりなのだ。」
傷などないと言ったとしても、 それで傷が治るわけではない。 祭司と預言者は、戦争が起きているのに、 平和だと言いはっている。
かえって、『これは神からのお告げです』と言って、偽りを語っている。わたしはおまえたちなど遣わさなかった。それなのに、自分たちの預言が実現することを期待している。
「酒の喜びについて説教しよう」と言うのが、 あなたがたの好きな 飲んだくれの偽預言者だ。
指導者はわいろを取り、 祭司と預言者は、金をもらわなければ 教えることも預言することもしない。 それでいて、主にこびへつらって、 「すべて大丈夫。主は私たちとともにおられる。 どんな災いもくるはずがない」と言う。
こののろいのことばを聞きながら、『何と言われたって、やりたいようにやるだけだ。大丈夫、絶対にうまくいく』などとうそぶいているなら、
このことを信じる人は、心でそう確信しています。信じない人は、神を偽り者と言っているのです。イエスについての神の証言を信じようとしないからです。
もし国境を過ぎてベテ・シェメシュの方へ向かうなら、この大災害を下したのはイスラエルの神だとはっきりするでしょう。しかし、そちらへは行かずに子牛のいる牛小屋へ戻るなら、あれは偶然の出来事で、イスラエルの神とは全く関係ありません。」