わたしに信頼した報いとして、おまえのいのちを助け、危害を受けないように守るから。」
ひたすら神に信頼したので祈りが聞かれ、ハガル人とその連合軍をみごとに打ち破ることができました。
あなたはききんの時には死から、 戦いの時には剣から守られる。
しかし、主を敬い、その愛と恵みを待ち望む人々を、 主はことのほかお喜びになります。
神のひとり子の前にひれ伏し、 その足に口づけしなさい。 主の怒りにふれて、滅ぼされてしまう前に。 私はあなたに警告しておきます。 主の怒りがまもなく燃え上がろうとしています。 主に信頼する人は、なんと幸いでしょう。
しかし主の目線は、主を信じて従い、 その変わらない愛に頼る者に注がれます。 ききんのときにも、餓死することはありません。
しかし、主はご自分のしもべを救い出されるのです。 主のもとに逃げ込む人は、無条件で赦されます。
主に信頼して人を思いやり、親切にしなさい。 そうすれば、この地に安住し、 成功を収めることもできます。
天の軍勢の神に信頼する人は幸いです。
たとえ千人がそばに倒れ、 一万人の死体があたりを埋め尽くそうと、 悪い者が私に触れることはありません。
神を信頼し、いつも主のことに思いをはせる者を、 神は何の心配もないように守ってくださいます。
エルサレムに残り、敵の手にかかって殺されたり、飢えや病気で死んだりするほうを取るか。それとも、町を出てカルデヤ軍に降伏し、生きるほうを取るか。
「エルサレムに残っている者はみな、剣かききんか疫病で死ぬ。しかし、バビロニヤ人に降伏する者は助かる。
外国人が罪を犯した場合、たとえ彼らが文字に書かれた律法を知らなくてもさばかれます。彼らは心の奥底では、正しいことと悪いこととを区別できるからです。その心の中には、律法が書かれているのです。つまり、彼らの良心が、彼らを責めたり、また時には弁護したりするわけです。 ユダヤ人が罪を犯した場合は、神が彼らを罰せられます。律法が与えられているのに従わないからです。彼らは何が正しいかを知りながら、実行しません。結局のところ、なすべきことを知りながら実行しない人はさばかれるのです。
なぜ神は、このようになさったのでしょう。それは、最初からキリストを信じ、望みをおいていた私たちが、こんなにもすばらしい恵みを見て、神をほめたたえるためなのです。
ですから、キリストを死から復活させ、栄光をお与えになった神を信じましょう。あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。