両者が神と和解し、同じ体のそれぞれの器官になったので、互いの怒りは消え去りました。こうして互いの反目は、十字架によって終わりを告げたのです。
私たちが神の敵であった時でさえ、ひとり子の死によって、神のもとに連れ戻されたくらいですから、私たちが神の友となり、神が私たちのうちに生きておられる今は、どんなにかすばらしい祝福が備えられていることでしょう。
私たちの中にある古い性質の自分が、キリストと共に十字架につけられたのは、罪を愛する体が砕かれ、もはや罪の支配を受けず、二度と罪の奴隷にならないためです。
律法を知っているだけでは、罪の支配からは救い出されません。私たちはそれを守ることもできないし、実際守ってもいないからです。ところが、神は私たちを救うために、別の計画を実行に移されました。すなわち、神のひとり子を、私たちと同じ体を持つ者として〔ただ、私たちのような罪の性質を持たない点では異なりますが〕世にお遣わしになったのです。そして彼を、私たちの罪のためのいけにえとして、私たちをがんじがらめにする罪の支配を打ち破られたのです。
古い性質は神に敵対するからです。古い性質が律法に従ったことは一度もなかったし、これからも決してありません。
私たちの数がどんなに多かろうと、みな同じパンを食べて、同じキリストの体の部分であることを示すのです。
私はキリストと共に十字架につけられました。もはや、私自身が生きているのではありません。キリストが、私のうちに生きておられるのです。私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、今、私のうちにはほんとうのいのちが与えられています。
ご自分の死によって、互いの激しい敵意を除いてくださったのです。その敵意の原因は、ユダヤ人を特別扱いし、外国人をのけ者にするユダヤ教のさまざまな戒律でした。その律法制度自体を無効にするために、キリストは死んでくださったのです。そして、互いに対立していた二つのものを融合させ、新しい一つの体をつくり上げて、平和を実現されました。
その特別の計画とは、神の子どもとされた者たちが、外国人もユダヤ人と共に、すべての救いの恩恵を受け継ぐということです。ユダヤ人も外国人も、共に神の教会の一員として招かれています。そして、キリストについての福音と、この方がなされたこととを受け入れる時、キリストによって大いに祝福するという神の約束に、両者ともあずかるのです。
私たちはみな、一つの体の各器官です。だれもが同じ御霊を与えられ、同じ輝かしい未来へと招かれています。
神の定めに違反したことが記されているあなたがたに不利な証書を、塗りつぶしてしまわれたからです。この罪の証書は、キリストの十字架と共に釘づけにされて無効となったのです。
キリストにある平和が、いつもあなたがたの心と生活を満たすようにしなさい。そうすることが、キリストの体の一部とされたあなたがたの責任であり、特権でもあるからです。また、いつも感謝していなさい。