キリストこそ、私たちの平和の道です。この方は、私たちユダヤ人とあなたがた外国人とを一つの家族とし、両者を隔てていた壁を打ちこわして、平和をつくり出してくださいました。
こうしてハマンは、王に伺いを立てました。「この帝国のどの州にもくまなく入り込んでいる、ある民族をご存じでしょうか」と、彼は切り出しました。「彼らの法律は、どの国のものとも違っておりまして、そのために陛下の命令に従おうともいたしません。これ以上彼らを生かしておいては、陛下のためになりません。
この方は私たちの平和となる。 アッシリヤが攻め入り、 私たちの領土を踏みにじる時、 この方は、 七人の牧者と八人の指導者を立てる。
さらに王の称号を受ける。彼は王としても、祭司としても世を治め、二つの間には完全な一致がある。』
その光は、 暗黒と死の陰にうずくまる者たちを照らし、 私たちを平和の道へと導くのだ。」
「天では、神に栄光があるように。 地上では、平和が、 神に喜ばれる人々にあるように。」
このほかに、別の囲いにも羊がいます。その羊をも導かなければなりません。やがてその羊も、わたしの声に注意深く聞き従い、一人の羊飼いのもとに一つの群れとなるのです。
これはイエスが、イスラエル人ばかりか、世界中に散らされているすべての神の子どもたちのためにも死んでくださるという預言でした。
あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ペテロは一同に言いました。「このようにして外国人の家に入ることが、ユダヤのおきてで禁じられていることは、よくご存じでしょう。ところが神様は私に、どんな人をも差別してはならないと、幻で示してくださいました。
イスラエル人に伝えられた神のみことばについては、すでにお聞きでしょう。全人類の主である救い主イエスによって、私たちが神と和解できるということです。この教えは、バプテスマのヨハネが語り始め、ガリラヤからユダヤ全土に広まりました。
ですから、信仰によって神の目に正しい者とされた私たちは、主イエス・キリストによって、神との間に平和を得ています。
もはや、ユダヤ人とギリシヤ人、奴隷と自由人、男と女という区別はありません。みな、キリスト・イエスにあって一つなのです。
ご自分の死によって、互いの激しい敵意を除いてくださったのです。その敵意の原因は、ユダヤ人を特別扱いし、外国人をのけ者にするユダヤ教のさまざまな戒律でした。その律法制度自体を無効にするために、キリストは死んでくださったのです。そして、互いに対立していた二つのものを融合させ、新しい一つの体をつくり上げて、平和を実現されました。
そして、キリストは、遠く離れていたあなたがた外国人にも、近くにいた私たちユダヤ人にも、平和をもたらしてくださいました。
このキリストのもとで、各器官が結び合わされ、体全体がしっかりと組み合わされて成長し、愛にあふれるようになるのです。
キリストの十字架の血によって、天と地のすべてのものが神のもとに行く道を開いてくださいました。神の子キリストが十字架の上で死なれたことにより、すべてのものが、神との平和な関係を持つに至ったのです。
キリストと共に死んだあなたがたは、この世の教えから解放されたのです。それならなぜ、「あれは食べるな、なめるな、さわってもいけない」などという規則に縛られ、この世の考えに従う生活を続けているのですか。
そこでは、国籍、人種、教育、社会的地位の違いなどは全く問題ではありません。大切なのは、キリストをしっかりつかんでいるかどうかです。そして、キリストを自分のものにする機会は、だれにも平等に与えられているのです。
キリストにある平和が、いつもあなたがたの心と生活を満たすようにしなさい。そうすることが、キリストの体の一部とされたあなたがたの責任であり、特権でもあるからです。また、いつも感謝していなさい。
偉大な羊飼いである主イエスを死者の中から復活させてくださった平和の神が、どうか、あなたがたに、神の御心にかなった行いをするのに必要なすべてのものを満たしてくださいますように。神とあなたがたとの間に立てられた永遠の契約の血によって、それが可能となりますように。どうか、キリストに栄光がいつまでもありますように。アーメン。
その時アブラハムは、戦利品の十分の一をメルキゼデクに差し出しました。メルキゼデクという名前の意味は「正義」であり、サレムという町の名は「平和」を意味していました。ですから、彼は正義の王であり、平和の王です。