そのころのあなたがたは、キリストとは全くの無縁で、神の民に敵対し、神から何の助けも約束されていませんでした。神もなく、望みもない、滅びる以外にない存在でした。
こうしてその日、主はアブラムと契約を結ばれたのです。「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。ワディ・エル・アリシュ〔エジプト川〕からユーフラテス川に至る地を。
これまで長い間、イスラエルの民はまことの神様を礼拝しませんでした。民を正しく導く、本物の祭司がいませんでした。それで、神様の教えも知らずに生活してきたのです。
しかし、ゼルバベルやヨシュアをはじめ指導者たちは、口をそろえて断りました。「いや、それには及びません。イスラエルの神様の神殿は、クロス王の命令のとおり、イスラエル人の手で再建すべきです。」
雇い人や外国人寄留者は、食べてはならない。
しかし主は、イスラエル人にはあわれみをかけます。彼らが特別の民であることに変わりはないからです。主は彼らを連れ戻し、再びイスラエルに住まわせます。多くの国が彼らと手を結び、忠実な同盟軍となります。
イスラエルの王である主、 イスラエルを救う全能の主は、こう言います。 「わたしは初めであり、終わりである。 わたしのほかに神はいない。
クロスの手から逃げて来た人々よ、 さあ、手をつないで集まれ。 木の偶像をかつぎ回り、救うことのできない神々に 祈りをささげる者は、なんという愚か者だろう。
外国人は使用人となって家畜の群れを飼い、 畑を耕し、ぶどう園の番人となります。
イスラエルの望みであるお方、 困った時に助けてくださる主よ。 どうして、一夜の宿を求める旅人のように、 この国をあわただしく通り過ぎて行くのですか。
イスラエルの望みである主よ。 神に背く者はみな、面目を失い、恥をかきます。 そのような者の名は、地上の名簿には載っていますが、 天の名簿には載っていません。 いのちの泉である主を見捨てたからです。
わたしはおまえたちに向かい、イスラエルの指導者の中から切り捨てる。おまえたちの名を消し去る。おまえたちは二度と祖国を見ることがない。その時、おまえたちは、わたしが主であることを知る。
わたしは彼らと、平和の契約を結ぶ。それは永遠に変わらない契約だ。わたしは彼らを祝福し、その数を増やし、わたしの神殿を彼らのうちにいつまでも置こう。
その土地をあなたがたと、あなたがたの中に住んでいる外国人の相続地として割り当てるのだ。イスラエルの地で生まれた子どもはみな、たとえ親が外国人でも、イスラエルの市民権が与えられ、あなたがたの子どもと同じ権利を与えられる。
これは、イスラエルが今後ずっと、王も君主もなく、祭壇も神殿も祭司も、また偶像もなく過ごすことを示しています。
人々が持って来る奉納物はみな、あなたに与える。それを家族全員の食物としなさい。これは、わたしがあなたとあなたの子孫に対して結ぶ、永遠の契約である。
主は私たちの先祖をあわれみ、 特にアブラハムをあわれみ、 彼と結んだ聖なる契約を果たされた。
このほかに、別の囲いにも羊がいます。その羊をも導かなければなりません。やがてその羊も、わたしの声に注意深く聞き従い、一人の羊飼いのもとに一つの群れとなるのです。
わたしはぶどうの木で、あなたがたはその枝です。人がわたしのうちに生き、わたしもその人のうちに生きているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては何もできません。
それはキリストが約束してくださったことです。あなたがたは言うまでもなく、あなたがたの子孫、また遠くにいても、私たちの神である主がお招きになったすべての人に与えられるのです。」
今日、皆さん方をお招きしたのは、お近づきになりたかったからです。また、私が捕らわれの身であるのは、メシヤ(救い主)が来られたと信じているためだと、わかっていただきたかったからです。」
あなたがたは預言者たちの子孫でしょう。それなら、神様がアブラハムに与えた、『全世界はユダヤ民族によって祝福される』(創世22・18)という先祖への約束に、あなたがたも含まれているのです。
つまり、アブラハムの子どもが全部神の子なのではなく、神がアブラハムにお与えになった救いの約束を信じる人々だけが神の子どもなのです。
ガラテヤの人たち。あなたがた外国人は、神を知らなかった時、実際には存在しない「神々」と呼ばれているものの奴隷でした。
あなたがたはもはや、神にとって見知らぬ他国人でも、天国に縁のないよそ者でもありません。神の家族の一員であり、神の国の市民なのです。すべてのクリスチャンと共に、神の一家を構成しているのです。
彼らの閉ざされた心の中は真っ暗です。神に対して心を閉ざしているので、神のいのちから遠く離れています。
そのすべてのものの中には、かつて神から遠く離れていたあなたがたも含まれています。あなたがたは以前は神の敵であり、神を憎み、悪い考えや行いによって神から離れていました。
また、あなたがたは福音(キリストによる救いの知らせ)を初めて聞いた時からずっと、天国にある喜びを早く味わいたいと待ちこがれてきました。
それから、皆さん。クリスチャンが死んだらどうなるか、よく知っておいてほしいのです。悲しみのあまり取り乱して、何の希望もない人たちと同じようにならないためです。
神を知らない異教徒のように、情欲におぼれてはいけません。
私たちを愛し、値しない者に永遠の慰めと希望とを与えてくださった主イエス・キリストと父なる神が、
私たちの救い主である神と、唯一の希望である主イエス・キリストによって遣わされた使徒パウロから、
燃えさかる炉に投げ込まれても、やけど一つしませんでした。ある者は、危うく切り殺されるところを救われました。ある者は病弱の身であったのに、健康な体に変えられました。ある者は戦いでめざましい力を与えられ、攻め寄せる敵の軍隊をことごとく退け、大勝利を収めました。
神は、約束と誓いの両方を与えてくださいました。神は偽りを言われることがありません。そのため、救いを求めて神のもとに逃れて来る人たちは、確かな保証をいただいて、新たな勇気を奮い起こすことができます。そして、神の救いの約束を、少しの疑いもなく確信できるのです。
しかし今、キリストは天における祭司として、古い契約に従っている祭司たちより、はるかに重要な任務をゆだねられています。キリストが私たちに伝えてくださる神の新しい契約には、さらにすばらしい約束が含まれているのです。
ですから、キリストを死から復活させ、栄光をお与えになった神を信じましょう。あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。私たちは、神の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、神の家族の一員として迎えられたのです。そればかりか、キリストが死者の中から復活してくださったことにより、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
心を動揺させないで、ただ主キリストを信じなさい。もしだれかに、「なぜキリストを信じるのか」と尋ねられたら、いつでもその理由を話せるようにしておきなさい。ただし、おだやかに、真摯な態度で説明すべきです。
このことをほんとうに信じる人はみな、自分の身を、いつもきよく保とうと心がけます。キリストはきよいお方だからです。