「人の子よ、イスラエルの長老たちが自分から進んでしていることを、よく見たか。彼らは、『主は見ていない。主は去って行った』とうそぶいている。
ほかにも、ひそかに多くの悪を行い、国中に異教の神々の祭壇を作っていました。
彼らは自分に言い聞かせます。 「神はこのことを知らない。見てもいない」と。
心の中で「神などいない」と言う者は愚かです。 彼の心は腐っており、 正しい人であるはずがありません。
彼らは言います。 「いったい神は、地上でどんなことが起こっているか、 ご存じなのだろうか。
ああ、自分の計画を神に隠そうとする者、 陰で悪を行う者。 彼らは言います。 「神はこんなところまで目が届かない。 ここで何が起こっているかなど、 知っているわけがない。」
おまえは、どんなに悪いことをしても大丈夫だと 考えていた。 『だれも見ていない』と言った。 その知恵と知識が災いして、わたしに背き、 自分こそ神だと言うまでになった。
それから、イスラエルの長老たち数人が来て、主の御告げをうかがってほしいと願い出ました。
エホヤキン王が捕らえ移されてから六年後の第五の月、イスラエルの長老たち数人が、主に伺いを立ててほしいと尋ねて来て、私の前に座っていました。
そこに、イスラエルの七十人の長老が、シャファンの子ヤアザヌヤとともに立ち、それらの絵を拝んでいます。長老たちはそれぞれ香をたく香炉を持っており、一同の頭上には、香の濃い煙が雲のように立ちこめていました。
さあ、もっと大きな罪を見せよう。」
「これを見たか。しかし、もっと大きな悪を見せよう。」
「これを見たか。こんな恐るべき罪を犯して民全体を偶像礼拝に導き、わたしを軽んじて、ますますわたしを怒らせるようなことは、ユダの人々にとって取るに足りないことなのだろうか。
しかし、主は私に言いました。「イスラエルとユダの罪は非常に大きく、民全体に虐殺と不正行為が満ちている。彼らは、『主は見ていない。主は去って行った』と言っている。
わたしは、ともしびをかざして、 エルサレムの暗い隅々まで捜し回る。 罪にどっぷりつかり、神に関心を示さず、 神はそっとしておいてくれると考えている者たちを 見つけ出して罰するのだ。
神を敬わない者たちが暗闇でふけっている快楽は、口にするのも恥ずかしいことです。
『隠れて、彫像や鋳像を造って拝む者はのろわれる。主は人間が造った神々を憎まれるからだ。』民はみな、『アーメン』(「そのとおりです」「そうしてください」の意)と答えなさい。