また、祭司は祭司で、わたしの律法を破り、神殿を汚し、わたしを汚した。彼らにとって、祭司の務めは日々の仕事以上に重要なものではない。わたしの民に善悪の区別を教えず、安息日も無視した。こうして、わたしは彼らの間でひどくさげすまれている。
大祭司をはじめ国の指導者もみな、周辺の国々の異教の偶像を礼拝し、エルサレムにある神殿を汚して、平気な顔をしていました。
神はこう答えました。 「そのような愚かなことを言ってはならない。 分別のあることばを語りなさい。 おまえが、前のようにわたしに頼るようになれば、 わたしの代弁者にしておく。 おまえが彼らに影響を与えるべきであって、 彼らの影響を受けてはならない。
祭司でさえ、主を軽んじ、 裁判官もわたしを無視した。 指導者たちはわたしに盾つき、 預言者はバアルを拝み、 意味のないことで時間をつぶした。
神がそれを許したのは、 罪のない者の血を流して都を汚した 預言者や祭司たちの罪のためです。
神に関することは、どうでもよいことのように思われ、安息日も軽んじられている。
その同じ日にわたしの神殿を汚し、安息日を無視した。
しかし国々の間に散らされた時、彼らはまたも私の聖なる名に泥を塗った。行った先の国々で『彼らは神の民だと言うが、その神がどうして彼らを災いから守ることができないのだ』とあざけられているからだ。
また、レビ部族の者でも、イスラエルが神から離れて偶像に走った時、わたしを捨てた者たちは、その不誠実をきびしく罰せられなければならない。
祭司はわたしの民に、聖と俗、善と悪との区別を教えなければならない。
祭司は、人々の争いを収拾する裁判官ともなる。その裁定は、わたしの律法に基づいていなければならない。祭司自身が、すべての聖なる祭りにおいて、わたしの律法と規定に従い、また、安息日を聖なる日として守らなければならない。
災いの上に災いが、悲しみの上に悲しみが、惨事の上に惨事が襲う。彼らは預言者の指導を求める。それなのに、祭司も長老も、王も君主も、ただ手をこまねいているだけで、絶望のうちに泣き悲しんでいる。わたしは彼らが行った悪に対し、それに十分見合った報いをするので、彼らは恐怖のあまり震えおののく。そして、わたしが主であることを知るようになる。」
人々に代わって正しい判断を下すことが、あなたがたの務めだからだ。神聖なものと俗なもの、きよいものと汚れたものの区別を示し、
これによって、地上の動物の中で、礼拝規定上どれがきよくて、食べてよいものか、どれが汚れていて、食べてはならないものかの区別ができます。
その場合は祭司が調べ、ツァラアトのような赤みがかった白い腫れものがあれば、
鳥でも動物でもわたしの命令どおり、食べられるものと、そうでないものをはっきり区別しなさい。どれほどたくさんいても、禁じたものは食べてはならない。食べ物のことで身を汚し、わたしに嫌われないようにしなさい。
祭司のくちびるは、人々が律法を学べるように、 神の知識であふれているべきだ。 祭司は全能の主の使者であり、 人々は導きを求めて祭司のもとへ来るからだ。
だがあなたがたは違う。 神の道から離れてしまった。 その「導き」によって、 多くの人が罪を犯すようになった。 あなたがたはレビとの契約をゆがめ、 似て非なる醜悪なものにしてしまった。」 全能の主は語ります。
「あなたがたのゆえに、世の人々は神を汚す」(エゼキエル36・20)と聖書に書かれているとおりです。
エリはすでに高齢に達していましたが、身辺の出来事についてはよくわきまえていました。例えば、息子たちが幕屋(聖所)の入口で仕えている女たちを誘惑したことも、ちゃんと知っていました。
それなのに、どうしてささげ物を一人占めしようとするのか。わたしよりも息子のほうが大事なのか。よくも親子して最上のささげ物によって肥え太ったものだ。