「人の子よ、イスラエルの長老たちに、神である主はこう語ると言いなさい。よくも助けを求めに来られたものだ。わたしは決して語らない。
主は悪者の供え物を憎み、正しい人の祈りを喜びます。
神は悪人からの贈り物がきらいです。 何か下心があるときはなおさらです。
教えをおろそかにする者の祈りはかなえられません。
罪を悔いていない者のいけにえなど欲しくもない。 おまえたちのたく香は、 匂いをかぐだけで胸がむかつく。 新月や安息日の儀式、 それに、おまえたちが最もおごそかな行事だという 特別の断食も、すべてまやかしだ。 これ以上、そんなものにわずらわされたくない。
これからは、手を天に差し伸べて祈っても無駄だ。 目を閉じ、耳をふさぐ。 どんなに祈っても、わたしは聞かない。 おまえたちの手は人殺しの手で、 罪のない犠牲者の血がこびりついているからだ。
彼らはいかにも神を敬うかのように振る舞っている。 毎日神殿へ来て、律法の朗読を聞いて喜ぶ。 彼らはそれに従うことを望み、 神の戒めを軽んじることなど考えられない、 といったふうに見える。 見た目には、正しく礼拝することを心から願い、 神殿での奉仕をことのほか愛しているようだ。
それから、イスラエルの長老たち数人が来て、主の御告げをうかがってほしいと願い出ました。
その時、主はこのようなことばを私に与えました。
現に今、偶像へのささげ物として幼児を焼き殺し、灰にしているのに、イスラエルよ、どうしてあなたがたの願いを聞いて、助けることができるだろうか。」 神である主は語ります。「わたしは生きている。いくら願っても、わたしは何も答えない。
人の子よ。あなたの同胞は、あなたの陰口を言っている。家や戸口で、ひそひそ話している。『主がどんなことを言っているか、彼に聞いて楽しもう』と。
人々は海から海へと至る所を歩き回り、 主のことばを探し求める。 だが、あちこち探し回っても見つからない。
そのようになってついに、恥じ入って顔を隠し、 自分たちの語ったことが 神から出たものでなかったことを認める。」
ところが、パリサイ派(特に律法を守ることに熱心なユダヤ教の一派)やサドカイ派(神殿を支配していた祭司階級。ユダヤ教の主流派)の人々が大ぜい、バプテスマを受けに来たのを見て、ヨハネは彼らをきびしく責めました。「まむしの子たち! だれがおまえたちに、もうすぐ来る神のさばきから逃れられると言ったのか。
バプテスマを受けに来る人たちに、ヨハネはきびしい口調で話しました。「まむしの子ら! あなたがたは神に立ち返ろうともせず、ただ地獄から逃れたい一心でバプテスマを受けようとしている。