「人の子よ、このなぞをイスラエルの民に示せ。
それからまた私は、このようなことばを主から与えられました。
そこで、私は叫びました。「おお主よ。彼らは私のことを、『なぞをかけるようにしか語らない者』と言っています。」
すべての国々は、こうしたのが主であるわたしであることを知る。わたしは剣を手にし、このことをやり遂げるまで剣をさやに納めない。
さあ、反逆者であるイスラエルに、このたとえを語りなさい。 神である主がこう命じる。 なべに水を入れ、火にかけて沸騰させなさい。
わたしは預言者を遣わし、 多くの幻やたとえや夢で警告した。」
それなのに、ギルガルの罪は相も変わらず、 公然と行われています。 畑のうねのように何列も祭壇が築かれ、 偶像へのいけにえのために使われています。 ギルアデも、偶像を拝む愚か者であふれています。
同様に、今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。しかし、やがていつかは、面と向かって神の完全な姿を見るのです。いま私が知っていることは、おぼろげで、ぼんやりしています。しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同じように、すべてがはっきりわかるでしょう。